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ダグラスの社会信用論(連載1) [Basic income]

訳者注)本稿はMichael Rowbotham(イギリスの著述家、貨幣の歴史に関する研究家)のThe Grip of Death: A Study of Modern Money, Debt Slavery and Destructive Economics(1998, 4th edition 2009)中の “Lincoln and Douglas: the suppressed alternative”韓国語部分訳(「緑の評論」第113号、2010年7-8月号)からの重訳である。クリフォード・ヒュー・ダグラス(Clifford Hugh Douglas)についてはhttp://bijp.net/sc/article/68を参照されたい。

クリフォード・ヒュー・ダグラス少佐は1920年代にイギリスで始まった「社会信用」運動の創始者であった。第一次世界大戦直後の数年間、ダグラスは貨幣改革に関する議論を完全に異なる次元に引き上げた。19世紀の間、銀行に関する多くの論争があり、銀行の権力と政府の職務放棄に対して多くの批判が行われた。しかし、ダグラスはこうした水準を越えて、負債に基盤を置く金融が経済に及ぼす影響と貨幣改革の政治的意味を鋭く分析してみせた。
ダグラスは自身の分野で卓越したエンジニアであった。彼は職業的文筆家でもなく、訓練を受けた経済学者でも、大学教授でも、政治哲学者でもなかった。彼の最初の著書『経済的民主主義』は1919年に『新時代』に連載された。『新政治家』の前身であるこの雑誌は、当時の指導的文芸及び政治著述家のためのフォーラムであった。実務的な知識と経験を有するエンジニアであるだけで、著述家としては全く知られていなかった者に、そうした雑誌に自身の見解を表明する機会が提供されたことは、それ自体注目に価することであった。その頃、政治と経済は相変らず文筆家の主題であった。しかし、『新時代』の編集者、A. R. オレイジーは、ダグラスが自身が扱う問題に関して独特の理解を有しており、独自の貢献をなすことができるであろうことを見抜いた。オレイジーはダグラスの作業が当然享受すべき注目を浴び、その結果『経済的民主主義』はセンセーションを呼び起こした。反応は痛烈な罵倒と不確実さの混じった誤解、そして熱狂的な歓呼に至るまで多様であった。
ダグラスは従来の金融システムが根源的に不安定であり、経済を支えるのに不適当なものであると警告した。彼は金融システムのために経済が絶え間ない新たな投資と成長に全面的に依存するしかないと述べた。果てしなき成長がなければ、経済はスランプに陥り、結局崩壊するしかなかろう。ダグラスはそうした金融システムとお金をつくりだす金融権力を批判した。しかし彼の分析は、経済が銀行信用に依存することによって、どのように誤って機能するのか、その方式に集中した。彼は、特に企業が有している負債に関連して、企業活動に伴う費用が発生する方式と、こうした費用の結果として価格が定まる方式に注意を喚起した。ここにあらわれたのが購買力の欠乏現象、すなわち消費者側における経済の生産物を買うことのできる能力の不足であった。実際に、「購買力の欠乏」という用語を初めてつくったのがまさにダグラスであった。

ダグラスの金融分析
企業の費用と価格策定に関するダグラスの分析は、「A+B理論」として知られることになった。この理論の核心は、経済で価格というのは常に所得分配よりもより大きな割合で生成されるということである。例えば、電球を生産するために設立された新しい企業の立場から、この問題を一度見てみよう。
新しい電球会社設立のための投資でお金が配分される。後に電球が市場に出てくることになる時、その電球の価格はこの投資されたお金を回収する必要性も考慮しなければならないが、投資されたお金は「諸経費」に含まれて企業の費用に反映されるであろう。この事実が意味することは、その電球の総価格は企業で支払われる賃金とサラリーの総額よりもさらに高いということである。企業は過去に、すなわち投資期間に配分されたお金を回収しようとする。しかし、消費者はその金をすでに使ってしまったために、その金をこれ以上持っていない。その会社は自身が生産したすべての電球を購買するに十分な所得を分配しないために、他の会社によって分配された購買力を「捕獲」するとことに依存せざるをえない。しかし、これら他の会社もやはり、投資時に負債として諸経費を支払ったために、彼らも自分たちの商品を買える十分な所得を分配することができない。したがって、いかなる瞬間であれ、すべての商品の総価格は消費者の総購買力よりはるかに高くならざるをえない。
市場に出ているすべての商品を売ることのできる唯一の方式は、もうひとつの企業、例えば朝食用シリアル製造会社が創立されることである。この新しい工場設立による投資が新たな貸付金を経済の中に注入するためである。もちろん、これはその会社の新たな商品が市場に出てくる前になされる。そうしてこの追加的なお金があの電球会社を含む他の企業による購買力の欠乏を埋めるであろう。しかし、この新たな朝食用シリアルが市場に出てき始める時、その企業主もやはり自身の貸付金を返すための価格を策定するであろう。そうすると再び同じ過程が繰り返される。
これは一つの決まったパターンになった。すなわち、現在の商品販売は常により多くの貸付金、生産活動を始めるより先にお金を分配する新たな企業に依存しているのである。もしこのパターンがこわされるならば、すなわち経済が絶えず成長し拡張されないならば、現在の生産システムにおける購買力の欠乏現象は明確にあらわれて、売れない商品が蓄積され始めるであろう。売れなかった商品というのは、どこかで誰かが―工場、卸売商あるいは商店主が借金をすることになることを意味する。そしてその状況で、消費者は生産物を買うことのできない次第にますます不便な境遇に置かれることになる。その結果、経済は不況の苦痛を味わい始めるが、これは新たな投資によってのみ回避することができる。
ダグラスは、こうしたシステムの中で経済は財貨とサービスの分配のために成長をせざるを得ないということを指摘した。それだけでなく、人々は常に昨日生産されたものを買うために今日仕事をせざるをえない。現在市場に出ている商品を買うのに十分な賃金を分配するためにも、成長が是非とも必要なのである。
不景気の状況で、こうした分析はとてつもない現実性を帯びた。その分析は商品の余剰、一般大衆の購買力欠如、そして重い借金に苦しめられる企業の現実を、互いに結びつけて説明することができるようにしてくれた。
(続く)
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