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壊れかけた家は政治に修復できない。ひとり一人が自力で造り替えるしかない [Post capitalism]

日本の今の社会や政治の関係を家に喩えれば、あちこちがたがきて壊れかけた家を修繕して何とかしようとしているようなものだ。とっくに耐久年限が切れて、雨漏りはする、水道の水漏れはする、あちこちからすきま風が吹き込み、シロアリが発生してさらに家はぼろぼろ。そこへきて、先頃の大地震でガス管に亀裂が入って爆発し、その部屋は住むのが危険な状態。とても人が安心して暮らせる場所ではなくなっている。
大工の民主屋さんが、改修の青写真を持ってやってきたが、ろくに工事もできないまま、かえって状態を悪化させ、そこへもって上述の地震ときた。やっぱり俺に任せろと、長年この家を見てきた自民屋さんが復帰し、今度は思い切って予算を投入してあちこち手を入れ始め、この家を20年前の人がまともに住める状態に取り戻すのだという。一方、例えばみんな屋さんは、20年前に戻すことはできない、この家をアメリカンスタイルの見栄えのいい家に改修しようと提案すれば、共産屋さんは、必要な金は別のスポンサーに出させて、住む人がより住み心地のいい家に改修しようと言う。
しかし、客観的に見れば築70年近くもたつ耐久性に優れないこの家は、どう考えたって一度すべてぶっ壊し、更地に戻して立て替えるしかない。しかし、その後新築する家はテレビCMに出てくるような、新建材を使った見栄えのいいオール電化とかエネファームとかの家では意味はない。従来の家の概念を根本から覆すような斬新なアイデアに満ちあふれた家でなければ、真の再生は果たせない。
例えば、地下熱を利用した換気システム、ソーラーパネルや太陽熱温水器、蓄電設備などはもちろん、バイオガス、近くの山から採れる木の枝を燃料に使ったボイラーなどによるエネルギーの完全自給、井戸水や雨水による上下水道の完全自給、そして、肝心の家本体は、これまた近場の山林から切り出した木材を用いた木造建築。庭では無農薬家庭菜園で野菜を栽培し食料の一定部分を賄う。――例えばそんな政策を提案する政党がない。あっても、選挙で支持を得て国会に議席を獲得できない。
実は、こうした家の建て替えは、決して政治が果たす役割ではないのだ。このままじゃ家が潰れてしまうと気づいたひとり一人が、自力で行うべきことなのだ。上述した家は一例で、各自がオリジナリティにあふれた、世界でたったひとつだけの家を造ればいい。
もはやここでいう家は比喩ではない。文字通りの家、人々の生活する家、家族の生活する家、そしてそれらが結びついた地域のコミュニティーを意味する。
かくしてそうした家々が全国に広がっていった時、中央政治はほとんど意味をなさなくなる。経済の果たす役割も格段に減っていく。政治に残された役割は、そうして無用の長物と化して残された原発をはじめとした廃棄物を、責任をもって後始末していくことくらいだろう。
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