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岡山生活1年を迎えて [from Okayama]

岡山に移り住んでちょうど1年を迎えた。去年の夏は、半年前の向精神薬の断薬失敗から体調が回復しないままの猛暑で生きた心地がしなかったが、逆に冬は温暖で、1年を振り返ってみれば、思い切って引っ越して正解! 今では汚染された関東地方には、よほどの用事でもない限り、一時的にでも戻る気がしないほどこの地に馴染んでしまった。
私の岡山移住は、他の関東地方からの移住者とは、若干異質だった。多くの移住者が小さな子どもを抱える家族や、母子だったりするのに対し、私は単身での移住。
3.11以前、自律神経が弱く暑さ寒さが苦手な私は、招来、子どもが自立したら、温暖で夏も比較的涼しい房総半島の、海に近い山里に、小さな土地を買って小さな家を建て余生を送るのが夢だった。しかし、その夢は3.11による東電福島第一原発の爆発事故による放射能汚染によって、実現不可能になってしまった。ところが、子どもはまだ大学を卒業するまで間があったが、寮生活を送ることになったので、それを機に西日本への移住を考えるに至った。そして、房総半島同様、冬温暖で夏あまり暑くない土地を探して、行き着いた先が岡山だった。
当初はとりあえず市内に住んでみて、肌に合いそうだったら、そのうちもうちょっと田舎に、安い古民家でも購入して移ろうかもと思っていたが、ずっと都会暮らしをしてきた私に、田舎暮らしは無理だということが分かった。それに、今住んでいる場所が気に入ってしまったので、今後引っ越すとしても、ここからそう遠くへは行かないと思う。同じ岡山県でも、瀬戸内海とは逆の山の方へ行くと、夏暑くて冬寒いし、同じ瀬戸内地方でも、どういうわけか隣の瀬戸内市あたりは、冬はめちゃくちゃ冷え込むようなのだ。
思えば3.11は、私の後半生を大きく変えることとなった。あの日から3年余り、今日まで原発のことを考えない日は1日とてなかった。最初はなんとかしなければという焦燥感から、四半世紀振りに街頭へ出てデモや集会に参加し、「紫陽花革命」が盛り上がると、次の衆議院選こそ、日本が政治によって脱原発を実現できる最大・最後のチャンスと思い決めて緑の党に自ら身を投じて活動したが、その選挙で脱原発派は大敗。敗北感と挫折感は大きく、折から断薬の失敗とも重なって、私は鬱になるほどの絶望感を味わった。
その苦闘を抜けて得た結論は、もうこれ以上、政治に何かを期待して積極的に関わるのはやめて、絶望的なムラ社会から自ら脱して、新しい積極的な生き方を追求しようということだった。岡山暮らしも、そうした生活をめざしての再出発のつもりだった。
しかし、特に昨年夏の参議院選でも勝利して調子づいた安倍政権のファシズムへの傾斜は、全く予想できないことではなかったが、いざその現実を前にすると、私を再び政治の方へと呼び戻す磁力となった。反原発・反ファシズムのために、私がもっとも自分らしく、自分の持てる力を発揮してできることは何か? 自問自答して得た回答のひとつが、書くことだった。猛暑の8月、私は部屋に引きこもって反原発小説『日本滅亡』を一気に書き上げた。そして、その時には考えてもいなかったが、年末年始には『日本滅亡Ⅱ』も書き、両者ともKindle版の電子書籍で出版した。無料配布キャンペーン分も含めて、今までに千人ほどの人々に読んでもらえた。それが原発再稼働阻止にどれだけ役立つものなのかは分からないが、今他人にはできないが自分にはできる反原発のたたかい方であるとは思っている。
Kindleといえば、精神医療ムラとのたたかいも開始した。断薬に失敗した私は、半年以上かけて体調を戻す過程で、自分を薬害被害者と定立するに至った。昨年6月には『私、どうしても薬[向精神薬]やめられないんです!』を出し、今は私のような依存症被害者をこれ以上出さないために、とりあえずベンゾジアゼピンの1ヶ月以上の継続投与を禁止させるための厚労省への署名活動を準備中だ。
このように、ムラ社会からの積極的離脱を求めて岡山にやってきた私は、逆に原子力ムラ、精神医療ムラへの独自の積極的アプローチをすることになってしまった。しかし一方で、ダイレクトに政治に大きな期待を寄せないというスタンスには変わりない。3.11を経ても変われない国民は、今後何があっても変われないだろう。そして、この国の多くの国民は、政治に無関心であるばかりでなく、民主主義より独裁政治が肌に合うようだ。そして、十年後にこの国がなくなろうと(そんな先のことは考えない)、今日明日何とか生きていければいいという人々だ。
このままでは、どんなに足掻いても、今年中には川内原発を皮切りに、次々と再稼働が始まるだろう。そして南海トラフ巨大地震をはじめ、巨大地震がこの国をこれから次々と襲うだろう。私が『日本滅亡』で描いた世界が現実のものとなるのも時間の問題かもしれない。そして万一、運よくその時が数十年先まで引き延ばされ、その間に、国内の原発は次々廃炉の時期を迎え、再生可能エネルギーもどんどん普及して、時間の流れが脱原発を実現してくれる可能性も残されていないわけではないだろう。しかしもしそうならそうで、そんなふうにして人々の意識が変わることなく、この民族が救われてもいいのだろうかという疑念も、正直抱かずにはいられない。それとも、それだけの時間の流れが、この国の民の意識をも、徐々にではあれ確実に変えてくれるとでもいうのであろうか?
とまれ、私は自分のできること、信じることを最後まで続けるだけである。人生最後のふるさとと決めたこの地において……。
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