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ロボット考-労働の剥奪と労働からの解放 [Post capitalism]

ロボットは人から仕事を奪う
Pepperが発売されたのにともない、ここのところロボットに関する話題が多いが、その議論のひつとつに「ロボットに仕事が奪われるか?」というのがある。
何をいまさら感がある。私など、翻訳という仕事柄、広い意味のロボット(人型ロボットだけでなく、人工知能(AI)やプログラミングされた精密な機械なども含む)である(韓国語翻訳ソフトが市販された20年以上も昔に、「今から10年後に翻訳者は駆逐されるだろう」と直感し、実際、私自身は何とか生き残ったものの、10年後に韓国語翻訳者の多くが淘汰され、さらに10年経った今、いよいよ翻訳者サバイバル戦争も最終段階を迎えているのだ。恐らく、今からさらに10年経てば、英語中国語も含めて、この国から翻訳者や通訳者はひとりもいなくなるだろう。
一方で、10年もすれば「翻訳コンニャク」が実現されるのだから、語学を学ぶ必要などないという極論もあるが、それはどうだろうか? 10年後だったら、せいぜい国際会議場の同時通訳が完全自動化され、あるいはビジネスで訪れた外国人を迎える会社や役所で、人型ロボットやアンドロイドが手際よく通訳をこなす段階ではないだろうか?
その次の段階として、ウェアラブルな、例えば装着感を感じさせないイヤフォンを着けると、互いに言語の違う相手と自由に会話できる通訳端末が開発されるだろう。それが何年後のことになるのか分からないが、そうなってこそ初めて、人は外国語を学ぶ必要がなくなるが、一方で、その頃には国際結婚が今よりも桁違いに増え、自然と2ヵ国語以上話せる人も増えていることだろう。



ロボットは人を労働から解放する
20年前に私が翻訳ソフトに仕事を奪われると言った時に、「いや、言語はファジーなものなので、2進法のコンピューターには最も馴染みにくいものだ」という反論もあった。しかし、実際には上述したような状況である。今後10~20年以内に人間の仕事の半分はロボットに取って代わられるというのが大方の見方のようだ。しかし、いつ、どれだけの仕事がロボットに代替されるかは、政治的判断、政策によって大きく変わりうる。人間を労働の苦役から解放しようという哲学に基づいた政策を推進すれば、より早く大半の賃金労働がロボットに代替されるだろうし、逆に雇用を守ろうという立場に立てば、社会のロボット化は抑制的になるだろう。
いずれにしろ、ロボットが人間労働に代替されれば、アダム・スミスリカードマルクスへと受け継がれてきた労働価値説は根本から覆され、ロボットが社会の価値を生む社会が訪れる。すると、仕事を失った労働者の扱いが喫緊の政策的課題として浮上する。
さしあたって、方法はふたつある。ひとつは残った労働を皆で分け合うワークシェアリング。もうひとつは、一部の人間による労働と富の独占。
しかし、そのいずれの方法をとったにせよ、今までの賃金体系を受け継いだのでは経済は成長するどころか右肩下がりに下がり続ける。ワークシェアリングをしてもすべての人の受け取る賃金が半額になったのでは、人々はせいぜい生活必需品を買うのが精いっぱいな状況に追い込まれる。一方、労働と富が一部の人間に独占されれば、大多数の人が飢餓に直面し、富を独占した人々の消費力も限定されたものにならざるを得ない。
一方で、ロボットによって生産された価値の総体は今までと同じかそれ以上なのだから、社会は供給過剰状態に陥る。それを解決する手段は、ベーシックインカム以外にないだろう。ワークシェアリングをとるか、労働の不均衡を続けるかにかかわらず、ベーシックインカムを実施すれば、人々は生存に必要な最低限の物を手に入れることができる。それ以上あまり働く必要を感じない人は仕事をセーブすればいいし、反対にもっと稼ぎたい人は仕事を手放した人から労働を受け継げばいい。
そうして更に、ロボットがほぼすべての労働を担う社会に到達すれば、人々は働かずして衣食住に必要な物をロボットから得ることができるようになるだろう。かくして人類は「働かざる者食うべからず」の社会と完全に訣別する。
しかし、勘違いしてはいけない。人々が働く必要がなくなったからといって、人々は怠け癖がついて遊びほうけ、欲望の赴くままに自堕落な生活に耽るというわけではない。そうではなく、人々はこの時初めて、若きマルクスの言った疎外された労働から解放されるのだ。それは、単に資本主義システムにおける賃金労働のレベルにとどまらず、また、階級社会が始まったときから人々に不可避的について回った強制労働にすらとどまらず、ヒトがヒトになる遙か昔、動物としてこの世に生を受けたときから、生きるために食べ、食べるために活動=労働し、そして子孫を残す、といった営々として受け継がれてきた営みから解放され、人類が初めて、全き意味で知的存在になる瞬間なのだ。
人間が生きるため=食うための労働から解放されるということは、人々が自己実現のために人生を生きられるようになるということである。つまり、人生とは生きることそれ自体であり、生きるために食べ、食べるために働くという動物の宿命から解放され、自己実現=よりよく生きることこそが人生の目的になるのだ。人々は持って生まれた個性を全面開花させるために切磋琢磨する。そうした社会は、すべての人のそれぞれの命と個性を他の何ものにも代えがたいものとして尊重するだろう。
ロボットは人間を真の知的存在として、他の動物たちと峻別された存在となるために生み出された最高の手段なのである。



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