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まず検証すべきは衆院議長宛犯行予告への対処ーみたび相模原事件について [etc.]

問われるべき警察、そして政府の責任
1ヶ月を迎えた相模原事件は、厚労省による措置入院制度の強化・見直しへと収斂しつつある。そしてそれに対する真っ向からの反論は、マスコミ報道にもほとんど見られない。このことに関してはこのブログでも1度述べたように(http://kei-kitano.blog.so-net.ne.jp/2016-07-31)、全くお門違いの安倍政権と厚労省による事件の政治利用にほかならない。
事件直後から、植松聖が今年2月15日、大島衆議院議長に宛てた手紙の内容が公開されている。真っ先に検証すべきはこの一件を巡る関係者・関係機関の対処についてであると思うのだが、それについてのマスコミ報道は、寡聞にして一切目にしていない。
「障害者470名を抹殺することができる」といい、惨劇の現場となった施設を含め2つの施設の名前を挙げ、具体的に犯行の手口を詳述しつつ犯行予告をしているのだ(そして、実際にそれに沿って犯行がなされた)。植松聖は議長公邸へ赴き議長に手紙を渡そうとしたというが、実際に誰がその手紙を受け取り、大島議長はそれを見たのか? あるいは手紙で相談するように名指しされた安倍首相はその事実を知らされたのか? 当然、警察へは届けられ、警視庁を通して神奈川県警なり地元相模原署へも通知されたために、19日の退職・措置入院となったようだが、警察は具体的にどう対処したのか? 明らかに脅迫罪や威力業務妨害罪が成立するはずで、その時点で植松を逮捕していれば、事件は防げただろう。
もしこれが、「障害者470名を抹殺」でなく、「国民の税金を無駄遣いしている安倍晋三総理をはじめとする衆議院議員475名を抹殺」だったら、その日のうちに植松は逮捕され、事件は大々的にマスコミに報じられていただろう。首相官邸にドローン1機が落ちただけでも、犯人がすぐに逮捕され、それどころかドローンに対する規制がすぐさま強化されたくらいなのだから。
いや、そうでなくても、「○○小学校児童470名を抹殺する」でも、同様の措置がとられたであろう。それどころか、「近日中に人が大勢集まる場所にトラックで突っ込み何十人もひき殺す」といったような抽象的な犯行予告であっても、警察はすぐ犯人逮捕に動いたに違いない。
要するに、植松聖が殺人対象にあげたのが、「一般市民」ではなく、ましてや政府要人でもなく、「障害者」だったから、警察は動かなかったとしか考えようがない。そして、衆院議長宛てに「安倍晋三様にご相談を」と届けられた手紙だったにも関わらず、政府も一切無視できたのだろう。
マスコミは「人の命の重みに違いはない」とか「障害者差別は許されない」といいながら、なぜこのいちばん重大な事実に目を向けようとしないのか?
相模原事件で真っ先に責任を問われなければならないのは、2月の犯行予告に何ら対処しなかった警視庁・神奈川県警・相模原署の不作為であり、この手紙を無視した大島衆院議長と安倍内閣だ。

やまゆり園のふたつの責任
第2に問われるべきは、津久井やまゆり園の責任であり、それはふたつある。
ひとつは、植松聖が正職員として働くようになって数ヶ月後(2013年後半~14年初め)には「障害者って、生きていても無駄じゃないですか?」とか「安楽死させた方がいいっすよね」などと言い始めたにもかかわらず、彼を解雇しなかった点だ。解雇権の乱用は労働者の人権侵害になりかねないので慎重を期すべきだが、少なくとも2年近く彼をそのまま雇い続けてきた園の責任は決して小さくないだろう。もし、「末期がん患者って、生きていても無駄じゃないですか?」とか「安楽死させた方がいいですよね」などと言う看護師がいたら、病院はその看護師を放置しておくだろうか? 万一のことがあったら、病院の責任問題に発展しかねないので、病院経営者はすぐに解雇するのではないだろうか? そこにも「普通の市民」と「知的障害者」の「命の重み」の差を感じてしまうといったら考えすぎだろうか?
ふたつめは、「犯行予告」の手紙の通告を受けて植松聖が考えを変えなかったので「自主退職」としたのはいいとして、警察に通報し措置入院させたことだ。職員としてあるまじき言葉を発しながらも彼を2年間も雇ってきた園は、彼を説得して考えを改めさせられると思っていたのだろうが、それが無理と判断するや、掌を返すように警察に渡し「精神障がい者」として措置入院することを許した。ほかでもない知的障がい者の施設だ。措置入院制度の問題点や、日本の精神科医療の実情に疎かったとしたら、それこそ問題だ。
植松は入院後、医師をだまして退院したということだが、そこにこそ精神医療のいい加減さがよく現れている。私の知人に、原因不明の肩の痛みから精神科を受診することになり薬漬け状態となり、どんどん症状が悪化して自殺未遂の末、「統合失調症」として医療保護入院させられた人がいる。その人も、最初執拗に「出してくれ」と病院側に迫ったところ相手にされず、従順を装って「改心」を誓ったところ退院を許されたという。このように、精神科病院というのは医療施設ではない。「困った人間」の隔離収容施設であり、いったん収容したら出すも出さないも医師のさじ加減でどうにでもなる超法規的な恐ろしい所なのだ。
そもそも精神医療が医療の名に値しないものであることは、向精神薬被害者である私がいやというほど身にしみて体験してきたことだ。(のむな、危険!: 抗うつ薬・睡眠薬・安定剤・抗精神病薬の罠)もし睡眠薬が欲しければ、精神科へ行って「このところ眠れなくって仕事にも影響が出て困るんです」と言えば、精神科医は喜んで睡眠薬を処方してくれる。「ここ2、3週間気分が落ち込んで何もかもやる気が起こらず、食欲もなく、寝付きも悪い」と訴えれば、抗うつ薬をはじめ、安定剤やら抗精神病薬やら何種類もの薬を出してくれる。
私は若い頃、慢性じんましんで薬を飲まないと体中痒くてたまらず、20年ほど抗ヒスタミン剤や抗アレルギー剤を飲み続けていた。あるとき、恋人と長旅をしたのだが、途中で薬が切れてしまった。そこで旅先で皮膚科を見つけ受診しようとしたのだが、保険証を持っていないことに気づき、保険証を持っていた恋人に身代わり受診を頼んだ。ところが、恋人は私が教えたとおりのことを医師に話したのに、すぐさま詐病を見抜かれてしまった。医師は彼女の腕を掴んで軽く爪でなぞったそうだ。慢性じんましんならすぐさま赤いミミズ腫れのような症状が出るはずなのだが、彼女にそんな症状が出るはずがない。事情を話すと、本当は自費で薬をもらわなければならないところ、医師は、違法かも知れないが、彼女の名前で処方箋を書いてくれた。
医療とは、本来こういうものだろう。患者の言うことを検査もせず鵜呑みにしたりしない。困ったやつだから入院させてくれという家族の申し出を素直に受け入れ、病気でもない人間を入院させたりしない(政治家の権力を用いた要請でもない限り)。一方、精神医療は「患者」や家族の言葉で判断し、医師の主観に基づいて病名や処方や入退院が決められる。精神鑑定で鑑定医の見解や病名が分かれるのも当然だ。
だから、そもそも植松聖が「精神障がい者」かどうか、薬物中毒者かどうかさえはっきりしないのに、措置入院制度を見直すなどとは、議論のすり替え以外の何ものでもないのだ。


めざすべきノーマライゼーション
宮城県知事で知的障害者の地域移行を進めた実績のある浅野史郎氏は、本日付の朝日新聞で次のように述べている。
 今回の事件を受けて、施設に防犯カメラを増やしたり、塀を設けたりといった警備の強化を進める動きがあります。しかし、これはまったく反対の方向だと思います。施設を一種の「要塞(ようさい)」にしてしまえば、「特異な場所に住む特異な人」という認識を再生産しかねません。
 なぜ、40人以上もの人が、わずか1時間足らずで傷つけられたのか。施設によって確保される安全もあると思うが、GH(グループホーム)でばらばらに暮らしていれば、いっぺんに襲われることはなかったはずです。集団的で、ともすれば閉鎖的になりがちな施設の住まい方を変えるため、入所者の地域移行を今後も着実に進めていく必要があると思います。
障がい者に限らず、高齢者なども含め、ノーマライゼーション(施設に隔離せず、健常者と一緒に助け合いながら暮らしていくのが正常な社会のあり方であるとする考え方。また、それに基づく社会福祉政策)が、北欧をはじめヨーロッパのスタンダードになっている。やまゆり園も閉ざされた大規模知的障害者施設ではなく、小規模なグループホームだったら、そこで働く植松聖は、あるいは今回のような事件を起こすことはおろか、そもそも「障害者は生きている意味がない」などという優生思想を抱くことなどなかったのではないか?
障がい者の隔離だけでなく、たとえばLGBTをカミングアウトしにくい社会、貧困の見えにくい社会……等々が、差別と偏見を生み、憎悪や怒り、妄想を増幅し、ヘイトクライムやテロを生んでいくのではないか?
その社会的根幹を問うことなく、措置入院制度をいくら強化しても、「植松聖」は決して特殊な犯罪者としていつか忘れ去られることはなく、これからも第2、第3の「植松聖」が生まれてくるだろう。
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