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ロボット社会の到来とベーシックインカム・第2部①ー資本主義を終わらせるロボット・AI [Post capitalism]

人間労働が価値を生むとする労働価値説
 私が学生だったころは、まだマルクス主義経済学が全盛時代で、友人たちと、「将来ロボットが人間労働に置き換わることがありうるか?」というような議論を冗談半分でよくしたものだ。答えは当然「否」だった。当時発展のめざましかった工業用ロボットがどんなに発達・普及したところで、マルクスによれば商品の価値を生み出すのは人間労働以外にないのだから、その「ロボットを作るのもしょせん人間労働」という単純素朴な論理だった。
 アダム・スミスやリカードの古典派経済学の労働価値説を基礎にしたマルクスの剰余価値論によれば、生産過程で労働者が自らの労働力の再生産に必要な価値=賃金を超えて生み出される価値が剰余価値である。したがって、生産力が高度化すれば、労働者は相対的にも絶対的にもより多くの剰余価値を生み出すことになる。*
*例えば、「剰余価値の率は、ほかの事情がすべて同じだとすれば、労働日のうち労働力の価値を再生産するのに必要な部分と、資本家のために遂行される剰余時間つまり剰余労働との比によって決まるであろう。したがってそれは、労働者が働いて、たんに自分の労働力の価値を再生産する、つまり自分の賃金を補填(ほてん)するにすぎないような程度を超過して労働がひきのばされる割合によって決まるであろう。」(カール・マルクス著『賃金、価格、利潤』八 剰余価値の生産、1865年、『マルクス・エンゲルス全集16』大内兵衛、細川嘉六監訳、大月書店、1966年、傍線引用書)
 一方マルクスは、生み出された剰余価値が再び生産過程に投入される際、生産手段(不変資本)に投ぜられる部分が労働力商品=賃金(可変資本)に投ぜられる部分より増大し、資本の有機的構成が高度化するとした。そうすると、相対的過剰人口=失業者が生じ、労働者の賃金も低下する。
 このふたつの理論はどう関係するのか、そして、そもそも剰余価値説や労働価値説は正しいのだろうか?

資本主義の歴史と労働
 資本主義の歴史をざっと振り返ってみよう。
 産業革命によって確立した近代資本主義社会は、新たな機械の発明(=技術革新)によって限りなき経済成長を保障された。しかし、ある工場で新しい機械が導入され生産性が向上すると、同時にそれによって必要なくなった労働者が解雇されることになる。一方、合理化によって生産性向上をなしとげた企業は他企業との競争で優位に立ち、生産規模を拡大することができる。そうして、ひとまわり大きくなった企業は、生産を維持するために新たに労働者を雇う必要に迫られ、労働力を吸収する。同じことが、ひとつの社会レベルでも起きる。技術革新によって生み出された失業者は、生産力を増した社会によって再び吸収され、ひとたび増加した失業率は再び減少する。また、資本主義社会はほぼ10年周期で景気循環を繰り返してきたが、不況によって解雇された労働者は、景気が好況へと向かえば、再び雇用されることになる。
 この景気循環は、当初は恐慌というドラスティックなかたちをとって現れたが、経済がグローバル化し始めると、ついに世界恐慌という深刻な事態を招いたため、ニューディール政策によって修正が図られた。
 その間、労働者階級の生活はどう変化したか? 資本主義の成立期、農村から都市へ流入して工場労働者となった人々の暮らしは、若き日のエンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』で描いたように、悲惨きわまりないものであった。しかし、19世紀後半に国際共産主義運動と労働組合運動が高揚し、労働者の賃上げ闘争や権利獲得闘争が盛んに行われるようになると、資本の側も一定の譲歩をせざるを得なくなる。*またこの時期、欧米列強による植民地争奪戦が激しさを増し、植民地からの安価な原材料の流入が、欧米諸国の労働者の生活改善を後押しすることにもなった。
*例えば、合衆国カナダ職能労働組合連盟が1886年5月1日に8時間労働制を要求してストライキを行い、第二インターナショナルの決議を経て、1990年5月1日に最初のメーデーが敢行された。
 そして、第二次世界大戦後は、ケインズ主義と社会民主主義の結合による社会福祉政策が労働者階級の生活をよりいっそう向上させることになる。そして、それを可能にしたのは、戦争によって破壊された経済が急速な成長を遂げたことだった。その象徴的な例が、国土全体が焼け野原と化し、ゼロからの復興を成し遂げた日本の戦後の高度経済成長だった。
 こうして恐慌なき経済の緩やかな循環による成長過程を通して、生産活動を担ってきた労働者階級(ブルーカラー)が大量に第三次産業(ホワイトカラー)へと流入し、彼らを中心に分厚い中流階級が形成されることになった。
 自らの生存と子どもを産み育てること(=労働力の再生産)に精一杯であった労働者の生活は、「より豊かな生活」を求めて消費する大量生産=大量消費の消費社会の到来によって大きく変化した。*
*消費社会の到来は、家電製品によって家族の成員(妻)を家族労働から解放し、彼らを新たな労働力として社会的生産に参加させるとともに、彼らを支えるための様々なサービス業――保育園、ファストフードをはじめとする外食産業、スーパーマーケット等を生み出し、それがまた新たな労働需要を生み出すという循環を成立させた。そうして消費社会が発展していくと、生活に余裕の生じた中産階級は、旅行や趣味等、レジャーで余暇を過ごすようになり、レジャー産業が発達した。

図1-1.jpg

菊本義治・西山博幸・本田豊・山口雅生著『グローバル時代の日本経済』(桜井書店、2014年)の表5-2をもとに作成

 図Ⅰ-1は1960年代から70年代にかけてのテレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫、乗用車の販売台数の推移を表しているが、特に60年代後半から70年代初めにかけての増加が著しい。
 こうして見てくると、経済が成長し生産力が高度化すると、不変資本への投資が増加して、労働者階級はますます窮乏化していくというマルクスの理論は、マルクス以降の資本主義の歴史によって完全に否定されたように思われる。

ロボット労働の自立化
 また、生産力が高度化すれば、労働者は相対的にも絶対的にもより多くの剰余価値を生み出すとする剰余価値説に関しても、ひとつの例として、あるスーパーマーケットで10人のレジ係が月給10万円で雇われていたが、レジの半数をオートレジ*にしたため、雇い主は半数の5人を解雇したとしよう。店の経営が厳しくなって半数の従業員が解雇されたのなら、残りの5人の労働が強化され、売上げが維持された場合、5人の従業員が10人分の労働をこなし、2倍に搾取されたことになるが、例にあげたようにオートレジを導入したのなら、オートレジはやめた5人がこれまでこなしていた労働を代わりに行った、つまり人間労働が機械に置き換えられたに過ぎないということになる。これは工場における産業用ロボットのケースを考えても全く同じである。
*人間労働を補助する単なる機械でなく、人間労働に代わってある工程を人間労働抜きに自律的にこなす機械をロボットと定義すれば、オートレジもATMも自動改札機もロボットと考えることができる。
 つまり、オートレジの導入は労働者の生産性を上げ、より多くの価値を生み出すようになったのではなく、オートレジが人間労働に置き換わったのだと考えなければならない。つまりこれは、剰余価値に関するマルクスの学説を否定するだけでなく、人間の労働のみが商品価値を生むという労働価値説自体も、ロボットの自立化とでも呼ぶべき現象によって破綻したように見える。
もはや時代は、「ロボットが人間の労働に取って代わる」現実を、覆い隠しようもなく私たちの前に突きつけている。
(続く)
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