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音楽配信サービスで広がるJAZZの世界 [Jazz]

Jazzについてこのブログで書くのは実に2年ぶりだ。この間、ここで取り上げるだけの音楽に出会えなかった。
ところが、去年末、Apple Musicを使うようになって、Jazzの世界が一気に広がった。以前、Amazonプライムのお試しをして、1ヶ月間音楽配信を受けたが、少なくともJazzに関してはあまりにお粗末な品揃えで、ダウンロードして聴いたアルバムは1つだけだった。なので、3,000万曲といわれるApple Musicも、最初はあまり期待していなかった。ただ、3ヶ月間無料で聴けるので、どんなものか試してみようという気持ちから始めてみた。しかし、結果は予想を大いに裏切るものだった。
ことJazzに関しては、私がこの間CDで好んで聴いてきたミュージシャンの曲はほぼフォローされている。そして、毎週数枚ずつニューアルバムがアップされるので、自分が今まで接したことのなかったミュージシャンもいろいろ聴くことができる。
Jazzに関して、従来情報源はネットショップやジャズ雑誌で、ネット上では一部試聴できるものもあるが、いいかなと思ってCDを買ってみると裏切られることも少なくなかった。以前はFMのジャズ番組も聴いていたが、ラジオを聴かなくなって久しい。
つまり、新しい生のジャズの情報源が限られているため、最新のJazzに出会うことがなかなかなかった。ところが音楽配信サービスは、それを可能にしてくれた。
私は、3ヶ月の無料期間が過ぎても、月額980円を払って契約を続けることにした。980円なら年間1万ちょっと、CDのニューディスクを3~4枚買うだけの値段で、Jazzを幅広くいくらでも聴くことができ、気に入ったアルバムはダウンロードしていつでもどこででも繰り返し聴けるのだ。

最初にはまったのは、彼女が中学生の頃、YouTubeで聴いて凄いと思ったドラマーの川口千里。オルガニストの大高清美とのユニット「キヨセン」のアルバムも含めて早速ダウンロードしてじっくり聴き、彼女の才能に改めて感心させられた。こんなドラミングはビリー・コブハム以外に聴いたことがない!
海外の比較的新しいミュージシャンにも何人か出会えた。まず、ドラマーのジョナサン・ルンドバーグ。ドラム自体よりも、洗練されたサウンドが気に入った。
そして、今いちばんはまっているのがトランペットのクリスチャン・スコット。マイルス以降のジャズトランペットの新しい方向性を示しているように思える。
そのほかにも、若い頃、FMのライブ番組をテープに録音して何度も聴いていた高瀬アキが、その後ドイツに移り住み、数々の賞を取るなど現地で今も活躍していることを知った。往年と違い、その後フリーの方向へ進んだようだが、新譜で聴いたアルバムはサックスとのデュオで、気迫満点で、けっこう気に入っている方だ。
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私はこの10数年、仕事をしながらJazzを聴いてきたが、それは手持ちのCDを繰り返し聴き返すだけで、ライブラリーは徐々に増えるものの、きわめて保守的な営為であった。それがApple Musicを聴き始めてからは、ほぼ毎日、iPadで1日中曲を流している。今使っているiPadAir2はステレオサウンドの音質もよく、机やテーブルの上に置くとそれがスピーカーになって音質がさらに迫力を増すので、わざわざスピーカーにつなぐことはしていない。
日本は電子書籍の普及が遅れているので、本は未だ紙で読むことの方が多いのが実情だが、今度引っ越すときには、手持ちのCD数百枚は大部分処分するつもりでいる。

安芸の宮島・厳島 [Photograph]

翌日は安芸の宮島・厳島を訪れました。

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ロープウェイで弥山へ

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弥山山頂から

念願の広島訪問 [Photograph]

私用で広島へ行ってきた。岡山に来てから、一度は行ってみたいと思っていて果たせなかった宿願だった。
所用が済んで、さっそく平和公園を訪れた。間近に見る原爆ドームの存在感に圧倒されて言葉を失った。

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実は原爆ドームについては50年前の忘れられない思い出がある。当時小学6年生だった私は、NHKの朝のニュースワイド「スタジオ102」で、原爆ドームが老朽化し保存工事のための募金を募っていることを知り、同じクラスの親友に相談してクラスで募金を呼びかけ、集まった募金を市役所へ届けたことがある。私の反核反戦運動の原点といってもいい経験だ。

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その後、原爆資料館に入った。外国人観光客を中心に、平日にもかかわらず、多くの入場者で混雑していた。展示のひとつひとつを追うごとにいいようのない圧迫感が胸を塞ぎ、息苦しさを覚えた。

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2014年8月6日の記念式典で、前年のコピペを読み上げ被爆者を侮辱した安倍晋三に改めて怒りがこみ上げてきた。その頃、すでに彼は、あの時代への回帰を理想とする「安倍晋三記念小学校」に共鳴し、それを実現させるために妻と二人三脚で何らかの政治力を行使していた可能性がある。安倍晋三を絶対に許せない。今、この政権をたたきつぶさなければ、「過ちを二度繰り返す愚」を犯すことになるだろう。

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原爆の子の像


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石垣島・竹富島 [Photograph]

大変な仕事も一段落し、初沖縄の旅は石垣島・竹富島へ行ってきました。あいにく天気には恵まれませんでしたが、のんびり命の洗濯をしてきました。
●石垣島
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サビチ鍾乳洞

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吹通川のマングローブ

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マングローブの生き物たち

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オキナワハクセンシオマネキ

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ミナミトビハゼ

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川平湾

●竹富島
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水牛の牛車

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ロボット社会の到来とベーシックインカム・第2部③ー絶対的貧困と相対的貧困の接近 [Post capitalism]

グローバリゼーションが経済先進国の労働者を窮乏化させる
 一方、それと同時に、水野和夫が明らかにしたように、つまり、レーニンが古くは『帝国主義論』で言及した帝国主義列強と植民地との関係、そして、第二次世界大戦後の経済先進諸国の消費社会と経済成長を下支えしてきた旧植民地=低開発国や発展途上国からの安い原材料や低賃金労働力の供給構造が、ここにきて急速に行き詰まりを見せ始めた。1980年代以降、アジア諸国が急速な経済成長を始め、BRICSと経済先進諸国との経済格差が縮まると、今やアフリカ大陸が最後の草刈り場になっている。そして、アフリカ大陸全体が開発され尽くしたとき、経済先進地帯は成長の動力を完全に失うことになるだろう。
 さらに、前述したIT革命は世界の時間的・空間的スケールを縮め、グローバリゼーションを加速化した。すでに多国籍企業は20世紀後半から世界経済を支配し始めていたが、グローバリゼーションは経済の国境を融解させた。

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菊本義治・西山博幸・本田豊・山口雅生著『グローバル時代の日本経済』(桜井書店、2014年)図1-3より転載

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財務省「本邦対外資産負債残高」より作成


 前の図は世界の直接投資(FDI)を示しているが、1990年代後半以降急増している。図Ⅰ-6は日本の海外直接投資残高で、2015年現在150兆円を超えている。日本企業といっても、今や日本発の多国籍企業であり、その発展は日本の雇用増加をもたらすのでもなければ、収益の果実や税金がすべて日本国内に返ってくるわけでもない。

恋愛もできず、結婚もできず、子どもも作れない
 日本の7分の1の翻訳単価であった韓国の翻訳会社が日本市場に進出すると、韓国と日本の翻訳単価の平準化が起こり、必然的に日本の翻訳単価が急激に下落することになる。同じことが社会のあちこちの分野で起こり、経済先進諸国の労働者の窮乏化が急速に進展する。

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「朝日新聞」2016年6月25日夕刊より転載


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白河桃子「年収1000万円以上男の「結婚の条件」【1】(「PRESIDENT」2010年8月30日号)より転載

 今や日本でも韓国でも、労働者の4割前後を占める非正規雇用労働者の多くは、「恋愛もできず、結婚もできず、子どもも作れない」状況に置かれている。前の図は年収300万円未満の20代男性は、それ以上の収入の男性と比べて既婚率が極端に低く、反対に「交際経験なし」が極端に多いことを示している。また、下の図は20~40代未婚男性のうち、年収400万円未満の層が全体の84パーセント近くを占めていることを示している。マルクスは『賃労働と資本』のなかで、「労働力の生産費を総計すれば、労働力の生存=および繁殖費となる。この生存=および繁殖費の価格は労賃を形成する。こうして決定される労賃は労賃の最低限と呼ばれる。」(カール・マルクス著、『賃労働と資本』、1891、長谷部文雄訳、岩波文庫版)と述べているが、まさにこの「労賃の最低限」さえも満たさない低賃金レベルに置かれている無権利状態の労働者たちが、21世紀の経済先進国に増殖しつつあるのだ。
 資本の有機的構成が高度化しても、それをカバーしてあり余る経済の高度成長が労働力を吸収し労働者を豊かにしていた時代は終わり、今や労働者の掛け値なしの絶対的窮乏化が進行している。

絶対的貧困と相対的貧困の接近
 こうした過程は、前述した資本主義周縁部の消滅過程とともに、すでに進行しつつある。その結果、先進資本主義諸国では大衆消費社会は終わり、分厚い中間層はやせ細って貧富の格差が拡大した。先進国の労働者の賃金は途上国の労働者の賃金と平準化していき、仕事の絶対量も減少し続ける。それでも完全失業率が急上昇しないのは、フルタイムの正規雇用をパートタイムやアルバイトの非正規雇用で置き換えたり、ワークシェアリングなどによって見せかけの就業率を保っているからにほかならない。また、低下した賃金水準は労働者全体に及ばないよう、非正規雇用労働者や移民労働者、女性労働者等、弱い階層に押しつけることによって、彼らを「労賃の最低限」以下のレベルへ追いやり、相対的貧困問題を低開発国や途上国の絶対的貧困問題と質的にあまり変わりのない程度の生存権の問題にまで深刻化させる。
 経済先進諸国の格差の問題は、アメリカ、日本、韓国等、従来から社会福祉が貧弱だった国々でいっそう深刻であるが、前述した問題は北欧福祉国家でさえ免れ得ない。なぜなら、社会福祉政策はワークフェア(労働を条件として公的扶助を行うべきであるとする考え方)を原則とし、障がいや高齢によって働けない者以外には「働かざる者食うべからず」の不文律を前提としているからだ。

迫り来る資本主義の終焉
 資本主義は経済成長を前提としたシステムだが、経済先進地帯では、今や市場原理にまかせた自然な経済成長は望めなくなっている。また、たとえわずかな成長を達成したとしても、富はすべて1%の富裕層に集積し、99%の人々はますます貧しくなり、貯蓄はおろか、ムダな消費をする余裕すら失いつつある。
 上位1%に集中したお金は行き場所を失い、一部は金庫の中やメガバンクに退蔵したり企業の内部留保として留まり、残りはマネーゲームに投じられて実態のない金融経済が肥大化する。

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「しんぶん赤旗」2016年2月4日


赤字国債を乱発して財政出動し、公共投資を行っても、大部分が大手ゼネコンなど大企業の懐に消え内部留保をいっそう増やすだけで、一時的に失業率が緩和しても、決して経済の好循環をつくりだして経済成長に結びつけることはできない。資本主義は解決不可能なアポリアに陥っている。
 このまま今の経済システムを延命させたら、10年後、20年後の世界はどうなってしまうのだろうか?
 中国、インドを含めたアジア諸国はもちろん、アフリカ諸国もある程度の経済成長は達成するだろうが、貧富の格差はよりいっそう広がり、経済成長の恩恵を受けられる層はごく限られたものになるだろう。栄養失調や疾病による生死に関わる絶対的貧困は解消されるだろうが、代わりに深刻な相対的貧困問題に直面するようになるだろう。
 日本を含む経済先進諸国では、生産活動・経済活動のより多くの部分をロボット・コンピューター・AI等が担うようになり、街には膨大な数の失業者が溢れかえることになるだろう。一方、農漁村部ではそうした経済活動とは断絶し、ごく限られた地域で循環する自給自足型地域経済によって自然と共生する一群の人々が生活することになるかもしれない。
 いずれにしろ資本主義は破綻し、世界は混沌とした時代を迎えることになるだろう。

ロボット社会の到来とベーシックインカム・第2部②ーロボット労働と絶対的過剰人口 [Post capitalism]

労働力商品
 ところで、マルクスは資本主義における賃金労働者の労働力は商品だと述べた。労働力商品論だ。最近この「労働力商品」という言葉は否定的ニュアンスに解釈されることが多いが、マルクスは資本主義経済の下で人間労働は「商品」として物象化される、ないしは疎外される、だからこそ、社会主義革命によってそうした商品としての労働は本来の尊厳を取り戻し、誰もが自分の仕事に誇りとやりがいを見い出すようにならなければならないという理論(労働の資本からの解放)の下、労働力商品という言葉を歴史的に限定された用語として用いたのだ。私たちも資本主義経済の下、賃金奴隷として自らの労働力を商品として売る以外に生きるすべがない大部分の労働者の現状を直視する必要がある。
 そして、労働力が商品である以上、その価値、価格は市場原理によって決定される。好況期に労働力不足に陥れば、あるいは成長分野のある部門の働き手が足りなくなれば、その労賃は当然上昇する。半面、不況期に突入したり、構造的な不況業種の労賃は下降する。また、商品市場においても政治的要因や自然要因等、様々なファクターが価格決定を左右するように、例えば前述した労働組合の存在が賃金決定に一定の影響力を行使する。同一業種でも、労働組合のある企業とない企業では、一般的に前者の方が同一労働・同一職種でも賃金が高くなる。

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労働省『毎月勤労統計調査報告』
伊代田光彦著「戦後日本の分配率変動と実質賃金率」第2表より作成
 図Ⅰ-2は戦後の高度経済成長期の実質賃金上昇率を表したものだが、特に60年代後半から1973年のオイルショックまでの期間、高い上昇率を示している。

イノベーションは絶対的過剰人口を生む
 1989年、ベルリンの壁が壊され、ソ連・東欧社会主義圏が崩壊すると、それまで成長を続けてきた資本主義体制はソ連・東欧諸国をも飲み込み、永遠の繁栄を約束されたかに見えた。
 しかし、皮肉にもまさにこの時期、社会主義に勝利した資本主義の自壊が始まった。折から先進資本主義諸国で始まったIT革命は、それまでの資本主義的生産様式を突き崩し、それを破壊する役割を担っていた。*、**
*たとえば、20世紀末の1992年に、「日本における情報通信サービス・製品の市場規模は、電気通信サービス約七・九兆円、放送サービス約二・八兆円、情報サービス約七・一兆円、放送を除く情報メディア約五・七兆円、電子機器約二一兆円(うち通信機器約二・八兆円)、合わせて総計約四五兆円に達し、自動車産業の市場規模にほぼ並ぶまでになっている。」(伊藤誠・岡本義行編著『情報革命と市場経済システム』富士通経営研修所、1996年)
**ケインズ主義的経済政策に取って代わって新自由主義が登場するのもちょうどその時期で、1980年を前後して、イギリスでマーガレット・サッチャー首相、アメリカでロナルド・レーガン大統領が誕生した。(日本でもそれに続いて中曽根康弘内閣が誕生した。)こうして、ヨーロッパも含めて、社会福祉の見直し、規制緩和、民営化等、新自由主義的経済が浸透していくことになる。日本でも〝中曽根臨調〟のもと3公社5現業の見直しが進められ、1987年には国鉄が民営化されJRグループが誕生した。また、最初の労働者派遣法が制定されたのは、1986年のことである。
 何故か? 資本主義経済において技術革新は、前述したように生産力の高度化をもたらし、それは新たな革新分野に失業者を吸収し、経済成長をもたらしてきたが、IT革命におけるイノベーションはそのような経済の循環構造を逆に断絶する。つまり、IT革命におけるイノベーションによってもたらされた新たなシステムは、基本的に人間労働を吸収するどころか排除する。相対的過剰人口は絶対的過剰人口に転化する。*

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*バブル経済が崩壊するまで、日本は経済先進国のなかで長時間労働と失業率の低さが際立っていた。しかし、バブル崩壊後の1990年代以降、労働時間も失業率も「先進国並み」になった。(上図)
「第4次産業革命」という言葉も用いられているが、現在直面している革命は、資本主義の一段階を画するような「産業革命」ではなく、資本主義そのものを死へと導く文明史的時代の転換を画する「ポスト資本主義革命」の始まりなのだ。

ついに「ほんやくコンニャク」が実現する
 翻訳産業にもたらされた翻訳ソフトや翻訳メモリ*は、翻訳産業に新たな労働力を呼び込むことはなく、反対に多くの翻訳者から仕事を奪う。
*日本語と文法構造の異なる英語等の翻訳に用いられている機械翻訳システム。翻訳データを蓄積することにより、類似構文、類字用語の文章を原文に当てはめて翻訳作業の効率化を図る。インターネットの発達により情報量が増えれば増えるほど、より効率的な翻訳作業を実現し、翻訳者の作業はコンピューターの下請け作業、単純労働化する。
 週刊東洋経済Eビジネス新書『技術革新は仕事を奪うか』のなかの東京大学大学院准教授・松尾豊へのインタビュー「AIが変える仕事の未来」では、2015年12月にカナダ・トロント大学でドラえもんの「ほんやくコンニャク」の実現に向けたAI技術の衝撃的な発表がなされたことが述べられている。
 それによると、例えば英語を入力するとAIがその内容をイメージし、それを日本語に置き換えるという。つまり、「「飛行機が晴れた空を飛んでいる」という文を入力すると、AIが本当に飛行機が飛んでいる絵を描く。「雨の中を飛んでいる」に変えると、雨っぽい背景に変わる。人間が物語を読みながら頭の中でイメージするのと同じだ。」「自動翻訳機能の技術的に難しいとされていたところは、これによってかなり突破されてしまった。」
 10年ほど前、「機械翻訳が翻訳者を駆逐する」という強い危機感をもってある英語翻訳ソフトを出しているIT企業を取材したとき、担当者が「英語←→日本語のこれ以上正訳率の高い翻訳ソフトを実現するには、本格的なAIが開発されないと難しいでしょうね」と言っていたのを思い出す。そのときがついにやってきたのだ。松尾は、実用化は今後10年前後で可能だという。
 そのときには、韓国語はもちろん、英語、中国語等、主要言語の翻訳者は書籍翻訳者も含めて、いよいよ完全に失業することになるだろう。それどころか、人間にとって翻訳と通訳は脳の別の分野を使う異なる作業だが、コンピューターにとって通訳は〈音声認識+翻訳+音声出力〉に過ぎないので、高度な技術と訓練を要する同時通訳者の仕事まで一気に奪うことになる。

人間はロボットの「代替可能商品」
 オートレジの普及は、そのうち無人のコンビニや無人スーパーを生み出すだろう。*いや、現在でも無人コンビニや無人スーパーを作ることは十分可能だが、それにかかる設備投資の額よりも、最低賃金ぎりぎりで雇うことのできるアルバイトやパート労働者を使った方が安上がりなので、オートレジが急速に普及しないだけの話だ。現にバブル経済崩壊後に金融業界が再編されたころから、銀行の無人ATM設置ヶ所が急速に増えるとともに、銀行の支店や出張所がどんどん統廃合されていった。
*「コンビニで私たちが店員さんと交わす会話は、せいぜい十秒ぐらいの長さだろう。この程度の内容と長さの会話を実現するだけであれば、おそらくアンドロイドで十分間に合う仕事だと思う。そう考えると、アンドロイドが成り代われる人間の作業は、私たちの暮らしの中にいくらでもある。」(石黒浩・池谷瑠絵著『ロボットは涙を流すか』PHPサイエンス・ワールド新書、2010年)  いわば人間の労働は今やロボットやコンピューターやAIに従属する「代替可能商品」にまで貶められた。

ペッパーが接客業における人の優位性を凌駕する日
「SankeiBiz」2016年6月6日の「AI新時代、奪われるヒトの仕事 執筆・接客代替、弁護士ですら置き換わる?」という記事に、以下のような文章がある。
「ネスレ日本(神戸市)は2014年末からソフトバンクグループの人型ロボット「ペッパー」を家電量販店の売り場などで接客に使っている。ソフトバンクによると、導入店舗の売り上げは15%伸びたという。ペッパーの導入以前は店舗ごとに接客のアルバイトを雇っていたが、人件費がかさむため、対象店舗は立地の良い数十カ所に限られていた。既に約150台を導入したが、数年以内に1000台まで増やす計画だ。
 ソフトバンクによると法人向けリースの場合、ペッパー1台当たりの導入費用は月5万5000円。仮にアルバイトを1カ月(30日)にわたり1日8時間、時給1000円で雇った場合、月24万円の人件費が必要となる。アルバイトを1人雇う代わりに、ペッパーを使えば月18万5000円のコスト削減が可能となる。顧客情報を蓄えたビッグデータを基に、ペッパーが個人の嗜好(しこう)に応じたきめ細やかな対応が可能になれば、接客業における人の優位性も失われかねない。」
 アメリカIBMの創始者トーマス・J・ワトソンの名をとった同社のコンピューター「ワトソン」はAI技術を用いて、「言葉を単なる文字列として把握するのではなく、自然言語処理によってその意味まで理解できる」(前掲『技術革新は仕事を奪うか』中の「ロボットが同僚になる日」)という。そして、近いうちに「ワトソン」を搭載したペッパーが発売されるらしい。そうすると、ペッパーはより「人間的」な接客が可能になり、ただ人間的であるばかりでなく、完全に「接客業における人の優位性」を凌駕することになるだろう。

ロボットが家事労働を代替
 さらにいえば、AI、ロボット等は家事労働も完全に代替するようになるだろう。戦後の家庭用電化製品の普及が大衆消費社会を実現し、主婦を家庭から解放して労働市場に送り出したことはすでに述べたが、近年のお掃除ロボの普及やIoT化は、あらゆる家事労働から人間を解放することになるだろう。イギリスのモーリーロボティクスが開発した全自動調理ロボットは2千食のレシピをこなす優れもで、2018年ころに発売予定だという。
 20世紀後半にはフェミニズムの観点から「家事労働に賃金を」という主張がなされた。私はそれ自体、資本主義的発想に縛られた逆立ちした論理だと思っていたが、今や賃金労働がロボットに奪われる時代を迎えて、「家事労働をロボットに」がフェミニズムの新たなスローガンになるのだろうか。
 しかし、資本主義的イデオロギーの枠内にあったフェミニズムは、女性の社会進出=労働参加を求めるあまり、家事労働のなかに育児労働まで含め、託児施設や保育施設を社会に求めてきたが、人間が真に賃金労働から解放されたとき、逆に育児は労働であることをやめ、男女を問わずひとつの〝自己実現〟、あるいは本来の人間らしい営み=仕事に姿を変え、ロボットに預けるべき対象であることを忌避するのではないかという気もする。子をつくり産み育てる行為は、人間の動物的本性に根ざした最も根源的な存在意義=種の継承に関わることだからだ。そこまでロボットや未来のテクノロジーに委ねることは、労働力の商品化から取り戻した人間性をかえって毀損することになりかねない。

単純労働から高度な専門職までロボットが代替
 私が、翻訳の仕事が急激に減って大打撃を受けたころ、疑問に思ったことがひとつある。それは、コンピューターが本来苦手とするファジーな言語を対象とする翻訳さえ翻訳ソフトが急速に普及し、今や翻訳者を駆逐しつつあるというのに、コンピューターが当初電子計算機と呼ばれたように、本分とする計算作業を基本とする税務申告ソフトがなぜ開発されないのだろうか、という素朴な疑問だった。私も翻訳の仕事がうまくいっていた一時期、事業を法人化して毎年青色申告をしていたことがあるのだが、自由業時代の白色申告とは比較にならないほど申告作業は面倒で、素人には太刀打ちできないものだった。かといって、税理士に依頼する余裕もなかったので、毎年適当に書き税務署で係の人に聞きながら訂正して提出していたのだが、当時会計ソフトはあっても、税務申告ソフトは存在しなかった。
 フリーの翻訳者には組合のような組織は皆無だ。だから、仕事をもらう翻訳会社に仕事量も単価もいいなりになるしかない。また、日本翻訳連盟という業界団体はあるが、各翻訳会社は最大手でも従業員数百人規模で、大部分は従業員数名~数十名の中小零細企業だ。政治的発言力もほとんどない。
 一方、税理士の場合は税理士会という強力な組織を持っている。政治力を利用して、会計ソフト会社に圧力をかけ、税務ソフトの開発に待ったをかけていたとしても不思議ではない。実際、当時ある用件でどうしても税理士の力を借りなければならないことがあり、ある税理士事務所に行ったことがあるのだが、事務所内の事務はすでにIT化されていて、こちらの依頼事務をたちどころに解決してくれた。
 それから10年以上経つが、今では青色申告ソフトが市場に出回るようになっている。個人経営、小規模経営、ベンチャー企業などが多く利用しているようだ。そのうえ、無料ソフトさえネット上で手に入る。
 一方、税理士の方も手をこまねいて見ていたわけではなく、クラウド会計ソフトを導入して企業とオンライン化し、合理化・価格引き下げで生き残りに賭けているようだ。「10年後には税理士などいらなくなる」という話も、業界では人口に膾炙されているらしい。十数年前の韓国語翻訳の世界と似たような状況か? 「使い物にならない」初期の翻訳ソフトも、当初は翻訳者が翻訳支援ツールとして有効に活用していた。しかし、結局は使いこなしていたソフトに、今や翻訳者自身が低賃金で使われ、挙げ句に駆逐されようとしている。(翻訳業にしろ税理士業にしろ、20世紀には「専門職」と呼ばれ一定程度の高収入が保障されていたが、21世紀に入るとコンピューターはそれらの業務から専門性を剥奪し、翻訳者や税理士は単純なパソコン操作によってその業務を補助する「単純労働者」へと変貌させられた。)

Dr.ロボットが診断を下す日
 日本で最大級の圧力団体といえば、日本医師会がそのひとつにあげられよう。医療の現場でも、すでに病院向け電子カルテの普及率は31%に及び、400床以上の大規模病院の場合に限れば約7割に及ぶという(2013年、「日経デジタルヘルス」)。また、先端医療の分野では、手術ロボットの開発も進んでいる。電子カルテの普及も手術ロボットの活用も、病院経営サイドから見れば合理化、病院のステータス強化に役立つものとして積極的に導入されていくのだろうが、こうした医療のIT化、ロボット化がいつか医師そのものの存在を不要にすると気づいたとき、医師や医師会はそれを全力で阻止しようとするだろう。あるいは、静かに進行する革命は、気づいたときにはすでに手遅れになっている、という事態も予想されうる。

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手術支援ロボッda Vinci

 例えば、20年後の医療はこんなふうになっているかもしれない。
 日々の健康管理は一家に一台普及している家庭用ロボットがしてくれる。そして、少しでも体に異常があれば、インターネットを通して地域医療センターに情報が送られ、適切に対処される。もし検査が必要と判断されれば、医療センターに行って必要な検査を受ける。もちろん、医療センターはほとんど無人で、検査もロボットの案内に導かれるままスピーディーになされていく。検査結果もたちどころに出て、その結果は、もしかしたらDr.ロボットかアンドロイドのスーパードクターの口から聞かされることになるのかもしれない。万一、手術が必要なときには、当然のことながら手術ロボットが活躍することになる。
 このように、工場内の流れ作業や、スーパーのレジ打ちといった単純労働から、医療といった高度な専門職の分野まで、あらゆる人間労働がロボット、コンピューター、AI等に代替されるようになるだろう。そしてそれらロボットやコンピューター自体、やがてロボットやコンピューターが生産するようになるだろう。

ロボット社会の到来とベーシックインカム・第2部①ー資本主義を終わらせるロボット・AI [Post capitalism]

人間労働が価値を生むとする労働価値説
 私が学生だったころは、まだマルクス主義経済学が全盛時代で、友人たちと、「将来ロボットが人間労働に置き換わることがありうるか?」というような議論を冗談半分でよくしたものだ。答えは当然「否」だった。当時発展のめざましかった工業用ロボットがどんなに発達・普及したところで、マルクスによれば商品の価値を生み出すのは人間労働以外にないのだから、その「ロボットを作るのもしょせん人間労働」という単純素朴な論理だった。
 アダム・スミスやリカードの古典派経済学の労働価値説を基礎にしたマルクスの剰余価値論によれば、生産過程で労働者が自らの労働力の再生産に必要な価値=賃金を超えて生み出される価値が剰余価値である。したがって、生産力が高度化すれば、労働者は相対的にも絶対的にもより多くの剰余価値を生み出すことになる。*
*例えば、「剰余価値の率は、ほかの事情がすべて同じだとすれば、労働日のうち労働力の価値を再生産するのに必要な部分と、資本家のために遂行される剰余時間つまり剰余労働との比によって決まるであろう。したがってそれは、労働者が働いて、たんに自分の労働力の価値を再生産する、つまり自分の賃金を補填(ほてん)するにすぎないような程度を超過して労働がひきのばされる割合によって決まるであろう。」(カール・マルクス著『賃金、価格、利潤』八 剰余価値の生産、1865年、『マルクス・エンゲルス全集16』大内兵衛、細川嘉六監訳、大月書店、1966年、傍線引用書)
 一方マルクスは、生み出された剰余価値が再び生産過程に投入される際、生産手段(不変資本)に投ぜられる部分が労働力商品=賃金(可変資本)に投ぜられる部分より増大し、資本の有機的構成が高度化するとした。そうすると、相対的過剰人口=失業者が生じ、労働者の賃金も低下する。
 このふたつの理論はどう関係するのか、そして、そもそも剰余価値説や労働価値説は正しいのだろうか?

資本主義の歴史と労働
 資本主義の歴史をざっと振り返ってみよう。
 産業革命によって確立した近代資本主義社会は、新たな機械の発明(=技術革新)によって限りなき経済成長を保障された。しかし、ある工場で新しい機械が導入され生産性が向上すると、同時にそれによって必要なくなった労働者が解雇されることになる。一方、合理化によって生産性向上をなしとげた企業は他企業との競争で優位に立ち、生産規模を拡大することができる。そうして、ひとまわり大きくなった企業は、生産を維持するために新たに労働者を雇う必要に迫られ、労働力を吸収する。同じことが、ひとつの社会レベルでも起きる。技術革新によって生み出された失業者は、生産力を増した社会によって再び吸収され、ひとたび増加した失業率は再び減少する。また、資本主義社会はほぼ10年周期で景気循環を繰り返してきたが、不況によって解雇された労働者は、景気が好況へと向かえば、再び雇用されることになる。
 この景気循環は、当初は恐慌というドラスティックなかたちをとって現れたが、経済がグローバル化し始めると、ついに世界恐慌という深刻な事態を招いたため、ニューディール政策によって修正が図られた。
 その間、労働者階級の生活はどう変化したか? 資本主義の成立期、農村から都市へ流入して工場労働者となった人々の暮らしは、若き日のエンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』で描いたように、悲惨きわまりないものであった。しかし、19世紀後半に国際共産主義運動と労働組合運動が高揚し、労働者の賃上げ闘争や権利獲得闘争が盛んに行われるようになると、資本の側も一定の譲歩をせざるを得なくなる。*またこの時期、欧米列強による植民地争奪戦が激しさを増し、植民地からの安価な原材料の流入が、欧米諸国の労働者の生活改善を後押しすることにもなった。
*例えば、合衆国カナダ職能労働組合連盟が1886年5月1日に8時間労働制を要求してストライキを行い、第二インターナショナルの決議を経て、1990年5月1日に最初のメーデーが敢行された。
 そして、第二次世界大戦後は、ケインズ主義と社会民主主義の結合による社会福祉政策が労働者階級の生活をよりいっそう向上させることになる。そして、それを可能にしたのは、戦争によって破壊された経済が急速な成長を遂げたことだった。その象徴的な例が、国土全体が焼け野原と化し、ゼロからの復興を成し遂げた日本の戦後の高度経済成長だった。
 こうして恐慌なき経済の緩やかな循環による成長過程を通して、生産活動を担ってきた労働者階級(ブルーカラー)が大量に第三次産業(ホワイトカラー)へと流入し、彼らを中心に分厚い中流階級が形成されることになった。
 自らの生存と子どもを産み育てること(=労働力の再生産)に精一杯であった労働者の生活は、「より豊かな生活」を求めて消費する大量生産=大量消費の消費社会の到来によって大きく変化した。*
*消費社会の到来は、家電製品によって家族の成員(妻)を家族労働から解放し、彼らを新たな労働力として社会的生産に参加させるとともに、彼らを支えるための様々なサービス業――保育園、ファストフードをはじめとする外食産業、スーパーマーケット等を生み出し、それがまた新たな労働需要を生み出すという循環を成立させた。そうして消費社会が発展していくと、生活に余裕の生じた中産階級は、旅行や趣味等、レジャーで余暇を過ごすようになり、レジャー産業が発達した。

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菊本義治・西山博幸・本田豊・山口雅生著『グローバル時代の日本経済』(桜井書店、2014年)の表5-2をもとに作成

 図Ⅰ-1は1960年代から70年代にかけてのテレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫、乗用車の販売台数の推移を表しているが、特に60年代後半から70年代初めにかけての増加が著しい。
 こうして見てくると、経済が成長し生産力が高度化すると、不変資本への投資が増加して、労働者階級はますます窮乏化していくというマルクスの理論は、マルクス以降の資本主義の歴史によって完全に否定されたように思われる。

ロボット労働の自立化
 また、生産力が高度化すれば、労働者は相対的にも絶対的にもより多くの剰余価値を生み出すとする剰余価値説に関しても、ひとつの例として、あるスーパーマーケットで10人のレジ係が月給10万円で雇われていたが、レジの半数をオートレジ*にしたため、雇い主は半数の5人を解雇したとしよう。店の経営が厳しくなって半数の従業員が解雇されたのなら、残りの5人の労働が強化され、売上げが維持された場合、5人の従業員が10人分の労働をこなし、2倍に搾取されたことになるが、例にあげたようにオートレジを導入したのなら、オートレジはやめた5人がこれまでこなしていた労働を代わりに行った、つまり人間労働が機械に置き換えられたに過ぎないということになる。これは工場における産業用ロボットのケースを考えても全く同じである。
*人間労働を補助する単なる機械でなく、人間労働に代わってある工程を人間労働抜きに自律的にこなす機械をロボットと定義すれば、オートレジもATMも自動改札機もロボットと考えることができる。
 つまり、オートレジの導入は労働者の生産性を上げ、より多くの価値を生み出すようになったのではなく、オートレジが人間労働に置き換わったのだと考えなければならない。つまりこれは、剰余価値に関するマルクスの学説を否定するだけでなく、人間の労働のみが商品価値を生むという労働価値説自体も、ロボットの自立化とでも呼ぶべき現象によって破綻したように見える。
もはや時代は、「ロボットが人間の労働に取って代わる」現実を、覆い隠しようもなく私たちの前に突きつけている。
(続く)