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バラカーディストピアならぬ3・11リアル [Criticism]

baraka.jpg桐野夏生が2011年から4年かけて書き上げた『バラカ』が単行本化されたので読んでみだ。3・11から5年を前に、版元の集英社が新聞の全面広告で大々的に宣伝した時には、正直、羨望と嫉妬を禁じえなかったのだが、ベストセラー間違いなしと思ったのに、あに図らんや、集英社の目論見を裏切るような出足だったようだ。東日本大震災・原発事故から5年が経ち、人々の意識は「もう忘れてしまいたい過去。真実に蓋をしてでも、まやかしの日常に逃げ込みたい」のだろう。私は「亡国記、人の心は忘却記」と嘆いたが、直木賞はじめ数々の賞を受賞してきた大作家にしてこの有様だから、『亡国記』が浮かばれないのも無理はない。
それはさておき、「震災後」「原発事故後」をリアルタイムで追いながら書き継がれたこの作品は、前半はどちらかというと「震災−地震・津波」の自然災害に力点が置かれ、後半になって「福島」が前面に出てくる。しかし、小説では現実と異なり、原発事故は「すべての原子炉が核爆発する大事故が起きた」ことになっている。そして、東京を含めて東日本の広い範囲が人の住めない地域になって、首都は大阪に移転し、皇居も京都御所へ引っ越すのだが、東日本が完全に廃墟になったかというと、東京はアジアや南米の労働者が住み着き、地元福島さえ線量の低い地域には帰還が推進される。
多くの読者は、「こうであったかもしれないもうひとつのフクシマ」のディストピアとしてこれを読むだろうが、私には「ほんのちょっとだけ飛躍もある3・11後の原子力ムラと政府、そしてマスコミによって隠蔽されたフクシマの真実」そのものに思えてしまう。皇居の京都移転話は3・11当初からあったと聞くし、首都機能の地方分散化が昨今現実味を帯びてきている。そして、20mSvへの帰還政策が強力に推進され、やがて50mSvへまで拡大されそうな情勢の一方で、避難者への補償は打ち切られようとしている。サクラとタツヤが非合法に行い大金を稼いでいる「ダークツーリズム」は、東電・政府公認のもと正々堂々と行われている。甲状腺がんの手術を受けながらも健気に生きるバラカは原発推進派のプロパガンダに利用されるが、現実には100名以上の“バラカ”たちは原発事故と甲状腺がんの因果関係さえ否定され、汚染地帯に生きる子どもたちが帰還政策と復興のプロパガンダに利用されている。同様に、汚染された東京は、外国人労働者の溜まり場にすらならずに、1千万人の自国民が日々低レベル放射線にさらされて生活している。
しかし、多くの人々にはそのようには現実が写っていない。F1はアンダーコントロールされ、福島は確実に復興に向かっている。そして、2020年東京オリンピックに向かって、この国は復興と再生を果たしていくだろうと信じている。『バラカ』の世界で大阪オリンピックがそうであるように。
広告代理店に勤務、後に経営する川島はじめ、木下沙羅、田島優子、ヨシザキら邪悪な人々は、原子力ムラの化身か、あるいは原子力ムラを支えてきたもっと広いニッポンムラの象徴か? 一方、豊田老人や健太・康太をはじめとした「反原発派」に属する「良き人々」は、現実の反原発派の行く末を暗示しているのか? 不思議なことに、社会の底辺を被爆しながら支える外国人労働者たちは活写されるが、物言わぬ多くの国民がほとんど登場しない。
そして、悪の権化=川島が、バラカが死んだという誤報を聞くや、いとも易々服毒自殺してしまい、バラカは生き延び……という結末もちょっと謎だ。
作者はディストピアを描こうとしてリアルを描写したが、作者自身はそのディストピアの先に何を見出したのか? バラカはフクシマの子どもたちの未来か? 日本の子どもたちの希望か? それがいまいち伝わってこない後味のスッキリしない読了感だった。


地球温暖化の幻想-『地球はもう温暖化していない』という本 [Criticism]

私が子どもの頃、(温暖な湘南地方で育ったのだが)家の前を川が流れていたこともあってか、夏は夜、雨戸を閉め切って寝て、たまに小窓を開けたままだと寒いくらいだった。また、小中学生の頃に大雪が降り積もったことが何度かあった。
時が流れてバブルの頃、そのおこぼれに与った私はクーラーを買ったのだが、あいにくその夏は冷夏で、1、2度しか出番がなかったことを覚えている。
その後、3年間韓国暮らしをして90年代前半に日本に戻った翌年の夏はえらい暑さで、急遽エアコンを買って暑さを凌ぎ、それ以来、エアコンなしの夏は考えられなくなった。暖冬も続き、桜の開花時期も年々早まるように感じられた。
だから、90年代は「地球がCO2のせいで温暖化している」と言われると、経験的にそれを信じて疑うことはなかった。
ところが、今世紀に入ると、ゲリラ豪雨とか突風、竜巻があるかと思えば、年によっては寒い冬も多く、浦和に住んでいた10年前頃には、近くの見沼用水が凍るようなこともあった。そして、私自身は関東地方を離れていて実際に経験しなかったのだが、昨年冬の2度の大雪だ。単なる温暖化ではなく、気候の変動が激しくなったと感じられたが、テレビではこれも温暖化の影響だ、というような風説がまことしやかに語られていた。一方、数年前から「地球はむしろ寒冷化している」というような話も耳に入ってくるようになり、心のどこかに引っかかるものがあったのだが、「そのうち映画”Day after tomorrow”のようなことになるのだろうか」などと空想するくらいで、現実感は湧かなかった。
なんせ、日本では超党派的に「温暖化から地球を救うためCO2削減を!」と、政府やマスコミから環境NGO、市民団体まで一致しているのだから、それに反する意見を持つことはカルトに入信するくらいの覚悟がなければならないのではないかと思われるくらいで、あえて真面目にその説に耳を傾けることがなかったのだ。
CO22.jpg今回、ある種の覚悟を決めて深井有著『地球はもう温暖化していない』(平凡社新書)を読み、カルトになる覚悟を固めた(笑)。
上述したように、私の「温暖化」感覚は、せいぜい自分の数十年の人生に基づいた経験論に過ぎない。しかし、本書はまず、地球46億年の歴史、少なくとも人類誕生以来も何度となくくり返されてきた氷河期と間氷期の極端な温度差や海面の上昇・降下等を振り返れば、CO2温暖化説はせいぜい資本主義の時代のここ200~300年の地球の気温変化、とりわけ20世紀後半の数十年の気温変化しか見ていないという、極めて真っ当なことを指摘している。元来、地球46億年どころか宇宙138.2億年の歴史に興味のある私には、えらく説得力のある主張だ。
また、著者はCO2による温室効果の結果生じる気温上昇を否定はしていないが、地球の温度変化に最も大きな影響を与えるのは太陽の活動であり、主には黒点の変化がメルクマールになるものの、その他、地球の楕円軌道を描く公転、自転の傾き、さらにはわれわれ太陽系が銀河系の中を公転する壮大な運動まで含めて複雑な要因がからまりあっていること、地球上に目を転じても、わずかばかりの量のCO2の変化以外に、太陽風に影響される宇宙線が関係する雲の生成が大きく関係していることなど、地球の温度変化の分析は一筋縄でいかないことを説いている。
また、地球温暖化とヒートアイランド現象が往々にして混同され、後者がCO2温暖化説に利用されている実態も暴かれる。
なにより決定的なのは、日本のマスコミではほとんど報じられなかったIPCC(気候変動に関する政府間パネル)のクライメートゲート事件(2009年)によって、IPCCの数々のデータ捏造や不正が暴かれたことを知っては、これ以上CO2地球温暖化説を信じることができなくなる。
では、何故このような国際的な陰謀が繰り広げられてきたのか、日本の原子力ムラを一員とする国際核マフィアの「原子力の平和利用」陰謀のように、きっとそこには政治的・経済的に利益を得るマフィア的存在があると疑うのが筋だろうが、残念ながら本書は地球温暖化説のウソを学問的に実証し、それを平易に説くことを目的としているので、そこへは立ち入っていない。
CO2.jpgそこで他に類書がないか求めたのだが、驚くほどない! すぐに見つけたのは、広瀬隆氏が3.11以前の2010年に出した『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(集英社新書)だった(広瀬氏が反温暖化論者であることは以前から知っていたが)。この本の前半は上述書で詳述されていることと大部分重複する。そして、後半では原子力ムラがCO2悪者説に便乗していかに「クリーンエネルギー」を装ってきたかが述べられているが、犯人ははたしてそれだけだろうか? 私には1970年代にOPEC(石油輸出国機構)が石油メジャーに対抗して石油権益を握るようになったことに危機感を覚えた先進諸国が、石油枯渇説とともに産油国を叩くためにCO2地球温暖化説を唱えるようになったのではないかという気がしてならない。そして、当時の産油国の大半はアラブのイスラム諸国だ。今日のイスラム原理主義やテロの淵源のひとつもその時代の対立に行き着くだろう。(もうひとつの淵源はいうまでもなくイスラエルのシオニズムだが)

余談になるが、実は私が温暖化説に疑問を抱いた最近の出来事に次のようなことがある。NHKは昨年8月31日、「NHKスペシャル 巨大災害 第2集「スーパー台風“海の異変”の最悪シナリオ」を放送した。地球温暖化により、当初海水表面の温度が上昇したが、それが今では深海の温度が上昇し、それが原因となって南の海で巨大台風が発生、日本近海の海水温も上昇しているため、勢力を弱めずに北上し、日本列島に甚大な被害を与えるだろうという、NHKらしからぬ、いたずらに国民の不安を煽るような内容の番組だった。そして、それを見たときは正直「恐い」と思った。完全に洗脳されたのだ。
ところが今年10月19日付の「朝日新聞」「(台風被害に学ぶ)巨大台風に襲われたら 湾岸地域、広範囲に浸水」という特集記事を読んで「おや?」と思った。そこには過去に日本を襲った巨大台風として1959年の伊勢湾台風と1961年の第2室戸台風の例などが載っていたのだが、前者の上陸時の気圧は929ヘクトパスカル、後者は925ヘクトパスカルだった。温暖化したはずの近年、これほど強力な台風が日本列島を襲ったことがあるだろうか? あの2005年にアメリカ南部を襲ったハリケーン・カトリーナでさえ920ヘクトパスカルだった。(戦後の上陸時の気圧が低い台風ベスト10のうち1980年代以降は3位の1993年13号台風・930、5位の1991年の19号・940[~10位まで同じ940]の2つだけ。7つは50~60年代)
おいおい、温暖化してからはそんなスーパー台風、ほとんど上陸していないのに「これから来るぞ!」と脅しておいて、実は温暖化する前の50~60年代にスーパー台風がいくつも来てたのかよ!
上述の2書を読むと、CO2地球温暖化説にはこの種の詐術に事欠かないことが顕わになる。

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元少年A著『絶歌-神戸連続児童殺傷事件』を読んで考えた様々なこと [Criticism]

10日の新聞で酒鬼薔薇聖斗の名で知られた神戸連続児童殺傷事件の元少年Aの手記が出版されることを知り、関心を持った。なぜなら、自身の少年時代の体験から、私は少年事件に昔から強い関心を抱いており、さらにこの事件に関しては、本ブログでも取り上げたことがあるが、かなり説得力のある〝冤罪説〟もあるからであり、私はぜひこの本を読んでみたいと思った。しかし、その日書店に行ってもまだ店頭に出ておらず、Amazonのサイトでも見当たらなかった。
ところが、翌日Amazonを再度閲覧すると、販売初日だというのにすでに在庫切れ、しかも驚いたことに、2桁のカスタマーレビューがもう上がっており、なおかつそのほとんどが☆ひとつの酷評だった。興味をもってそのレビューをひとつひとつ読んでみると、多くが「世に出してはならない本」「今すぐ出版を中止すべき」といった内容で、なかには正直に「本を読んでいないが……」と、レビューになっていないレビューもいくつか見受けられた。ある商品を使いもせずにダメだと☆ひとつをつけるなど、ルール違反も甚だしい。文句があるなら出版社に抗議するのが筋だろう。
このように、多くのレビューが本をよく読んだうえで冷静に判断・批評したものではなく、「被害者家族を傷つける」「更生していない証拠」などと感情的な決めつけに終始したもので、私は村八分という言葉を連想した。私は日本のムラ社会の構造は基本的に明治以降に形成されたものと思っているが、江戸の封建時代に根を持つ因習が連綿と現代まで地下茎でつながっていることも否定しがたい。そして、否定的なレビューを書いた人々は、それが「正義」と疑わずにいるようだが、そもそもその正義とは何かと問いかけざるを得ない。

凶悪犯罪は減っている
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図を見ると、戦後の一時期を除いて、殺人事件、未成年者のそれも一貫して減り続けているか、もしくは横ばいで、決して増えてはいないことが分かる。なのに私たちが凶悪犯罪を身近に感じるのは、テレビやネットを通じて質・量ともにそれらに関する情報が過剰に流布されているからである。とくに私たちが錯覚しやすいのは、いわゆる「凶悪犯罪」とか「猟奇事件」「無差別大量殺人」といった類いの事件は、せいぜいここ数十年の間に顕著になったという認識である。実はそうした事件は、少なくとも明治の昔からよく起きていたのである。しかし、新聞やラジオしかなかった当時は、そんな事件がどこかの地方で起きても、せいぜい新聞のベタ記事で「どこどこの男が村人7人を猟銃で殺害」などと数行で報じられるだけだった。だから、そんな情報は全国津々浦々に行き渡ることはなかったし、届いたとしても人々の関心をさほど引き起こさなかったのである。むしろ、阿部定事件のように大きな社会的反響を呼び起こした事件は例外的だった。
テレビが発達して、とりわけワイドショーの事件や事故の報道の過熱ぶりがとりざたされるようになって久しいが、その悪習はいっこうに改められる気配がない。かくいう私も、そうした報道のありかたに大いに疑問を抱きつつ、大きな事件や事故があると、ついつい野次馬根性から、少々遅い昼食時間に、「ミヤネヤ」や「ザ・ワイド」などを見てきた。それを見なくなったのは、報道ステーションの古賀茂明氏の事件に関して、「ミヤネヤ」で司会者・コメンテーター総掛かりになって稚拙な古賀叩きをする様を見た時、怒りを通り越してあきれ果て、「こんなくだらない番組を今までよく見てきたものだ!」と自己嫌悪に陥って以来のことだった。
それから数ヵ月が経ち、先日NHKのニュースを見ていたら、安保法制=戦争法案や年金情報流出問題を差し置いて、北海道の一家4人死亡事故がトップで報じられたのだが、その報道の仕方に驚かされた。ワイドショーよろしく、長男をひき逃げした容疑者の人物像を彼が住む自宅付近の住民のインタビューを交えて報じ、視聴者の怒りを買うような演出をしていた。ワイドショーを見ていた頃は、ニュースでもそうした切り口の報道があるのは承知していたが、質量ともにワイドショーのそれとは比べものにならないのでさして気にもとめていなかったが、ワイドショーを見なくなって数ヵ月が経った時点で、ニュースでそれを見せられると、明らかに客観性・中立性に欠くセンセーショナルな報道のしかたであることに今さらながら気づかされる。こうして、昔とは比べものにならないほど、重大事故や殺人事件の報道が1件ごとに詳細に、しかも被害者・加害者のプライバシーに渡るまで立ち入って報道されれば、事件や事故の絶対数は減っても、国民が重大事故や凶悪犯罪が増えているという錯覚に陥るのは無理もないことだ。

加害者にも人権はある
1999年に起きた桶川ストーカー殺人事件をひとつの契機として犯罪被害者等基本法が制定され(2004年)、今日では裁判に犯罪被害者が関与できる等、犯罪被害者やその家族の人権が大幅に認められるようになった。しかし、それに反比例するように、犯罪加害者の人権は疎かにされていないだろうか? もちろん、容疑者は逮捕された瞬間から、その人権が大きく制約される。そして、その制約は裁判で有罪が確定して刑の執行を終えるか、刑の執行を受けることがなくなる日まで続く。逆に、万一無罪が確定すれば、その間に受けた人権侵害は損害賠償されることになる。
無知の涙.jpg例えば、表現の自由も被告人や受刑者にある程度認められる。連続射殺魔と呼ばれた永山則夫は事件の2年後、未決にもかかわらず『無知の涙』(1971年)という手記を出版し、大きな反響を呼んだ。当時高校生だった私も読んだ記憶がある。もうとっくに手元から失われているので数十年前の記憶を辿るしかないが、被害者への謝罪の念はほとんど表明されていなかったと思う。本の基調は、自分を犯罪行為へと駆り立てた貧困と無知を生んだ社会への弾劾、そしてそれを客観的に認識できるようになったのは獄中で猛勉強したからだという矜持に貫かれていた。そして彼はその後も獄中で執筆活動を続け、最高裁で係争中の1983年には自身の幼少期の体験をもとにした自伝的小説『木橋』で第19回新日本文学賞を受賞した。彼を批判する人々も少なからずいたが、一方で彼の言動を支持したり、支持とまでいかずとも理解を示す文化人等もまた少なからずおり、新日本文学賞の受賞は作家としての彼の評価を不動のものにした証でもあった。
そのほか、死刑囚の獄中出版で有名なのは、連合赤軍事件の首謀者・永田洋子の『十六の墓標』があげられよう。この中で彼女は16人の同志殺しを、独特の左翼用語で「総括」しているが、その内容は今日いうところの「真摯な反省」とか「被害者・家族への心からの謝罪」とはおよそかけ離れていたように思う。
当時は被害者遺族の人権などこれっぽっちも認められていなかった時代だからだという反論もあろうが、被害者やその家族の人権が認められたからといって、反対に加害者の人権制限が強化されていいことにはならない。むしろ逆である。ときにそのふたつは対立することがあるだろうが、どちらも守られなければならない。

法治国家の原則に立ち返れ
どんな凶悪犯罪を犯した者であろうと、刑務所でその刑期を終えれば、文字どおりその「おつとめ」は果たしたことになるのであり、仮釈放後の保護観察期間などを除いたら、あとは再び犯罪を犯さない限り、その人は一市民としての権利を回復するというのが、法治国家の原則である。ところが、現実には就職をはじめ、彼には様々なハンディが課せられ、「前科者」というレッテルは一生剥がれることはない。
しかし、勘違いしてならないのは、法的なけじめと被害者-加害者の倫理的問題は別だということである。いくら刑期を全うしても、加害者の倫理的責任は一生ついて回るし、被害者の恨みもそう簡単に晴れるものでない。加害者は被害者にいつまで謝罪し続けなければならないのかといえば、被害者またはその遺族が「もういい」と言う時までだと答えるしかない。しかし、それはあくまで両者の倫理的な問題であり、そこに第三者は介入すべきでないし、介入すべき問題でもない。
また、犯罪被害者の権利が主張されるようになって、よく強調されるのは、被告は裁判を通して事件や事故の真相をすべて明らかにせよ、との要求である。だんまりを決め込んで死刑判決を受けたオウム真理教の麻原彰晃の裁判が典型例だ。しかし、一方で、とくに判決が出ると、被害者や遺族は「もう事件には触れたくない。そっとしておいてほしい」と言う。そのどちらも真実だろうがこれほど矛盾したことはない。裁判で明らかにされた事実がすべて真実とは限らない。いくら被告人が誠心誠意事実を陳述したとしても、少しでも軽い判決を受けたいと願うのが人間の心理だからだ。そういう意味では、むしろ刑が確定した後に受刑者なり元受刑者が書いた手記の中にこそ、事件の核心や真相が隠されている可能性は高い。

少年事件のジレンマ
神戸の事件に立ち返ると、元少年Aはこの事件を14歳の時に起こした。この事件を機に少年法が一部改正され(2000年)、14歳以上の少年も刑事裁判で刑事責任を問えるようになったが、A自身は旧少年法のもとで医療少年院へ送致され、2004年に更生保護施設へ送られた後、その年のうちに保護観察期間も終わり、完全に「自由の身」となった。少年法は「非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行う」ことを目的としている。つまり、犯した罪を罰するのではなく、あくまで更生を目的としているのである。
大人の刑法犯でさえ、刑期を終えれば普通の市民生活が原則的に許されるのだから、少年法で少年院送りになった少年は、退院して保護観察期間が終われば、本来ひとりの青年としてその人格が全面的に認められてこそ、少年法の本来の目的に適うといえよう。なんといっても、未来のある青年(少年)だ。過去に犯した罪はすべて水に流して、二度と犯罪に手を染めることなく生きるべく、きちんと市民としての生活を保障されるべきではないのか?
しかし、現実はAのような凶悪犯罪を犯した少年は、一生十字架を背負って生きていかなければならない。それは単に内面の倫理的問題(被害者家族との問題を含む)にとどまらず、社会的な有形無形の「制裁」についてもだ。

『絶歌』を読んで
・A=冤罪説の崩壊
絶歌.jpg最初に述べたように、私が本書を手にした理由のひとつは、この事件に冤罪説があるからである。『神戸事件を読む』という本では、数々の疑問点が提起されていたが、もちろんAはその点に関して何も答えていない。しかし、もし仮にAが警察権力のでっち上げたダミーだったとしたら、Aは権力によって生活を保障される代わりに、一生日陰の人生を監視下で送ることになろう。今回のような手記の出版は権力にとって何のメリットもないはずだ。また、もし権力の意向に背いて彼が手記を出版したのだとしたら、その内容は冤罪を暴露するようなもっとセンセーショナルなものになったはずだ。
また、『神戸事件を読む』の著者はひとつ致命的な思い違いをしていたようである。それは、当時Aの学力、とくに国語の成績が悪かったことをもって、あのような脅迫文を書く能力はとうてい彼にはなかったという点を冤罪説の有力な証拠のひとつとしてあげていることである。しかし、本書の最初の数ページを読めば分かるように、Aは並外れた文章力の持ち主である。もちろん、その表現力は少年院やその後の社会生活の中で多くの本を読んで身につけた面も多分にあろうが、事件当時も、彼はホラーもののビデオやマンガに精通し、それらの台詞をつなぎ合わせた詩のような文章も書いており、例の酒鬼薔薇聖斗という名前も、小学生の頃に描いた自作の漫画のキャラクターにつけた名前だと告白している。学校の勉強ができないからといって、かならずしも国語力がないとか、頭が悪いということではないのである。本書を読めば、Aはかなりの知能の持ち主で、事件当時も決して単なるできの悪い落ちこぼれでなかったことが推測できる。そうすると、ここで冤罪説は大きく揺らぐことになる。
そこで、以下はA=真犯人という前提で話を進める。

・不十分な事件の自己分析
本書の前半は事件前後の生活から逮捕、医療少年院に至る経過を述べているのだが、まず驚かされるのが、上にも触れたように、その文学的表現力の豊かさである。この本が小説で、筋道だったストーリー展開があれば、もしかして純文学の新人賞でも受賞できるのではないかと思われるほどである。もちろん、それは、この20年近くの間に読んできた膨大な読書量に負うところが大きいだろう。しかし、いくら読書家でも、必ずしも名文家とはかぎらない。
ところが、その美しい文学的修飾語で彩られて語られる事件を巡る経過が、その美文故に大いなる違和感を醸し出す。小説ならふさわしい文体が、ここでは全くふさわしくないだけでなく、むしろAの事実と向き合うことへの恐れのカモフラージュであるかのようにすら思われなくもない。
実際、彼はなぜふたりの年下の子どもを殺すに至ったのか、その心理の自己解明が十分になされているとはいいがたい。というより、当の彼自身、まだそこにたどり着いていないのだろう。
最愛の祖母の死、それに加えて家族の一員であった犬の死が、彼に生と死への現実を遊離した興味を呼び起こし、たまたま祖母の遺品であったマッサージ器をいじっているうちに性の快感に目覚め、その快感が祖母の死と結びついたことから、以降猫の虐殺に手を染めエスカレートしていく……というストーリー展開は、いかにも説明力不足だ。唯一説得力がある場面は、当初庭の祖母が残した畑に埋めるつもりだった淳君の頭部を、処分前日の夜に急に学校の校門に置こうと思いついて実行するというくだりである。
校舎南側の壁沿いに二本並んだナツメヤシの葉が、降りかかる月の光屑を撒き散らすように音もなく擦れ合っている。呪詛と祝福はひとつに融け合い、僕の足元の、僕が愛してやまない淳君のその頭部に集約された。自分がもっとも憎んだものと、自分がもっとも愛したものが、ひとつになった。僕の設えた舞台の上で、はち切れんばかりに膨れ上がったこの世界への僕の憎悪と愛情が、今まさに交尾したのだ。
 告白しよう。僕はこの光景を「美しい」と思った。
嘘偽りのない告白だと思う。しかし、その憎悪した学校への憎悪の記述があまりにも不足している。勉強も運動もできないカオナシのような自己の存在、一方、勉強も運動もできるすぐ下の弟を虐めたこと、父が好きでなかったこと等が断片的に語られるが、それがひとつの像を結んでこのショッキングな場面の告白へ結びついたのではない。そこには大きな空白と断絶がある。彼自身、まだ自己分析が未整理なのか、故意かあるいは無意識的に何かを避けているのか?

・「書く」ことと「世に問う」ことの意味
後半は社会に出てからどんな生活を送ってきたのかについて、時系列的にかなり詳しく描かれている。それによると、彼は事件前からもその傾向があったようだが、人と交わり、回りの空気を読むのが苦手な、多少「自閉症的」傾向があるようだ。そうした傾向のある人に多いことだが、彼もひとつのことにとことんこだわり、熱中するタイプであるようだ。手先の器用さも手伝って、だから就いた仕事はどこでも器用にこなすし、ひといちばい仕事熱心だ。
終盤に至って、彼はある確信にたどり着く。それは「僕にとって「書く」ことは、自分で自分の存在を確認し、自らの生を取り戻す作業だった。」「そうして僕が最後に行き着いた治療法が文章だった。もはや僕には言葉しか残らなかった。」「居場所を求めて彷徨い続けた。どこへ行っても僕はストレンジャーだった。長い彷徨の果てに僕が最後に辿り着いた居場所、自分が自分でいられる安息の地は、自分の中にしかなかった。自分を掻き捌き、自分の内側に、自分の居場所を、自分の言葉で築き上げる以外に、もう僕には生きる術がなかった。」
何と身勝手な!と非難することはたやすい。あるいは、これは自己逃避、退行だと分析することも可能だろう。しかし、私はこれを彼の魂の叫びと受け取った。そしてまた、正しい選択だとも思う。
実際、青少年期の私、いや、つい十数年前までの私も、実は書くことによって自己を対象化し、それを踏み台にして次のステージへと上り詰めてきた人間だった。とりわけ、青少年期の思春期危機や学生時代の挫折体験を乗り切るために、私には書くこと以上の手段は残されていなかった。彼も私も、話すのが苦手で、人と交わるのが苦手で、逆に書くことだけが得意だ。そういう人間にとって、書くということは自己と向き合う手段であり、自己を対象化し分析しうる武器なのだ。
であっても、何も本にして出版しなくてもいいだろう。日記を毎日つけていればいいじゃないか、という反論があるかもしれない。私も中学生のある時期から結婚するまで20年ほど日記をつけていた。しかし、日記はその日、あるいはある一時期の「自己対象化」「自己総括」を可能にする手段ではあっても、人生に立ちはだかった大きな難題を解く手段にはなりえない。私の場合、それを可能にするのは小説という形以外になかった。学生時代の学生運動の挫折体験を乗り越えることができたのは、10年間も苦闘して『極北のレクイエム』という小説を脱稿して出版したことによる。高校生の時にぶち当たった思春期危機という絶体絶命の危機は「無意識の認知行動療法」によって自ら克服したとはいえ、それを客観的に対象化できたのも、それから十数年後にひとつの小説を完成したことによる。結婚-離婚という出来事も、その数年後にいくつかの小説を書き上げて初めて区切りをつけることができた。
そして何より、人間は社会的動物であり、人との関係性によってのみ自己を確認することができる。孤立し自己の内面にしか自分の居場所を見いだせないAにしたところで、だからこそなおのこと、社会との繋がりを通してしか自己の存在意味を確認できないだろう。書かれたものは、読まれることによって初めてその価値を発揮するのだ。そして、その価値はA自身だけでなく、Aが社会にあれだけのショックを与えた事件を引き起こした張本人であってみれば、少し大げさにいって〝歴史的〟資料としての価値がある。この場合の歴史とは、犯罪史程度のものかもしれないが……。
手記の出版を感情的に許せないという淳君の父親の気持ちは分かる。しかし、その被害者の感情に便乗して、本をろくに読みもせずにAや版元の出版社をバッシングすることは許されない。最低限、本を精読すれば、この本が自己満足や印税目的で書かれたものでないことは、一切の予断や偏見を排除すれば、誰の目にも明かだと思う。ただ、十全ではない、完璧ではない、第一歩に過ぎない。

・真の更生、被害者・加害者の真の救済とは何か?
実は本書を読んでいて最も物足りなかった点、本来最も本質的な問題として何よりも語られなければならないのに語られていない点は、「性の問題」だと思った。確かに、上述したように、事件へ至る性倒錯については触れられている。ところが、後半では、本来なら20~30代と最も異性に対する関心の高い年代、性欲の最も強い年代であるにもかかわらず、本書にはAのそれへの言及が一切ない。「はたして彼の性倒錯は「矯正」されたのだろうか?」という疑問も解消されずじまいだ。そうであっても、彼は倫理的に「人を殺してはいけない」という強い確信と信念に辿り着いているようなので、まかり間違っても同じような犯罪を再び犯すことはないとは思うのだが……。
恐らくこの点は医療少年院で法務教官や精神科医が彼を矯正すべき最大課題であったはずだ。そして、この点に関して彼にはみっつの解決方法があったはずだ。ひとつは「治療」がうまくいき、性倒錯が矯正されること。ふたつめは矯正は不可能であり、一生その欲望を抑圧しコントロールして生きていく以外にないという道。そして、もしありうるとしたら、その欲望を文学やマンガや絵画や映画などの芸術に「昇華」させる方法。
もしかしたら、彼の「書く」ことへの渇望は、このみっつめの表現行為なのかもしれない。だとしたら、彼は書くことが許されるべきだというにとどまらず、是非とも書き続けなければならないだろう。事件そのものを小説にすることはできないが、今後もこの本で解明しきれなかった自己とのたたかいをし続けること、また、事件とは直接関係のないフィクションを創作することは、あらゆる意味で良いことであっても、決して非難されるべきことではないと、私は思う。
彼がもっと年を重ねてからあの犯罪を犯していたならば、彼は確実に死刑宣告を受けていただろう。そして、永山則夫のように、あるいは宅間守のように、さらに本書でAが触れている山地悠紀夫のように、今ごろはあるいは自ら望んだように、死刑に処せられ、死ぬまで続く贖罪の苦しみから解放されていたかもしれない。死刑を望んで多数の罪なき民を殺した者に望んだ死刑を与えられ、生と死の意味も分からず犯した未熟な未成年の犯罪者が、一生重い十字架を背負って生きていかなければならないとしたら、それはどう考えても不合理ではないか? やはり死刑は廃止して終身刑が導入されるべきだと思うと同時に、罪を犯した者が死ぬまで十字架の責め苦を負う不合理も解消されなければならないとも思う。
本書の最後に、ある晴れた春の休日に、Aが公園で赤ん坊を連れた若い夫婦に出会う場面が描かれている。彼はそれを見て、自分はその場にふさわしくない、いてはいけない存在だと思い立ち去るのだが、私はいつの日か、彼がそのような幸せな家族の一員になることが、彼の最終的な救済であるだけでなく、実は被害者家族にとっても、最終的な救済に結びつくのではないかと密かに思ってみたりする。

『宰相A』―パラレルワールド? 現実世界の鏡像 [Criticism]

正直に告白すれば、私は著者の田中慎弥という作家をこの『宰相A』を通して初めて知った。当然、彼が2012年に「共喰い」で芥川賞を受賞したほか、様々な文学賞を受賞してきた作家であることも。だいたい、芥川賞とかに関心を失って十数年経つ。芥川賞に最後に注目し、読んでみようと単行本化される以前に「文藝春秋」を買って読んだのが、平野啓一郎の「日蝕」だった。そのうえ、ここ何年も、私は小説そのものを年に1冊くらいしか読んでいない。自分自身、たまに下手な小説を書くにもかかわらずだ。せめて月に1冊くらい読んでいれば、私ももう少し小説の腕を上げていたかもしれないのだが……。
私が小説をよく読んでいたのは30代前半までで、それも当時の最先端をいく流行作家の作品ではなく、カビの生えかけた戦後文学とか在日朝鮮人文学ばかり読んでいた。一度、毎年のようにノーベル文学賞候補にあがる売れっ子作家の作品を読んでみたが、私の悪い癖で一度読み始めた本はいくら退屈でも最後まで読まないと気がすまないためなんとか読み終えたものの、二度と彼の他の作品を読む気にはなれなかった。
そんな私がなぜ本書を読む気になったかといえば、「宰相A」のAは安倍晋三のAだとネットで話題になっているのを目にしたからにほかならない。それで早速Amazonで検索してみたところ、新品は品切れで何倍ものプレミアのついた中古品が何点か出品されているだけだった。市内の書店も探してみたが、どこも在庫切れ。その後、何日かして再びAmazonをのぞくと、入荷待ち状態になっていたので予約し、だいぶ待たされた後、1週間ほど前にようやく重版本が手元に届いた。
ちょうどその頃、新聞に「『宰相A』のAは安倍晋三のAです」という著者自身のコメントが載った新潮社の広告が掲載されていた。Aはアドルフ(ヒットラー)のAでもあり安倍晋三のAでもあるという話もどこかで耳にした。
一方で、4月5日付の朝日新聞の書評でも本書が取り上げられていたが、そこには内容紹介が紙幅の半分以上を占め、あとは「読者は自分の中に抱えて見つめるのみだ。知っているはずの世界こそ未知の図式で成り立っているのだから」などと訳の分からない言説でお茶を濁し、何を恐れているのやら、安倍晋三はおろかアドルフの話も登場しない蜂飼耳という詩人兼作家の、書評というのも憚られるようなお粗末な文章も目にした。むろん、田中慎弥さえ知らなかった私は、蜂飼耳という名前もこの時初めて目にした。
それで早速、送られてきた本書を興味津々読み始めたのだが、三百数十枚の原稿なので面白ければまる2日もあれば読み終えるものを、暇な時期だったにもかかわらず4日もかけて読んだということは、それほど〝面白い〟といえる小説ではなかったということなのかもしれない。

A.jpg母親の墓参りにO町を訪れた作家Tは、そこがアングロサクソン系の日本人によって支配され、本来の日本人は旧日本人として居住区に隔離されている不思議な世界に行きつく。いわゆるパラレルワールド(平行宇宙)に迷い込んでしまったというわけだ。しかし、この一見奇想天外、奇妙奇天烈な「もうひとつの日本」は、「同胞が同胞を貶めるこの精神は、しかし、偽物政府による国家運営、旧日本人とその居住区というシステムが生んだものなのだろうか? でなければこれもまた、無抵抗や諦めなどと同じ、かつて日本人でありいま旧日本人である我々の、システムと関わりのない、岩盤状の特質なのではあるまいか?」「ミンナソロッテセイフクヲキル、ソンナジユウヲアジワイタイ、ムサボッテミタイ、という欲望……」等々、「もうひとつの日本」の描写を辿っていくうちに、もしかしてこれはパラレルワールドなどではない、現実の今の日本のメタファーに過ぎないのでは――ということに気づく。大きくは、アメリカに戦争で負けつつそれを認めようとしないままそのアメリカに事実上支配されてきた戦後の日本、狭くは安倍政権以降の今の日本。
「アメリカとともに世界の平和と安寧を目差して、積極的かつ民主的に地球規模の戦闘を継続しなければなりません。それこそが、我が国の目差すべき、戦争主義的世界的平和主義に基づく平和的民主主義的戦争の帰結たる、戦争及び民主主義が支配する完全なる国家主義的国家たる我が国によってもたらされるところの、地球的平和を国家的平和として確立する人類史上初の試みであるところの、完全平和国家樹立へ向けての宇宙的第一歩なのであります……」旧日本人でありながら、多数民族である旧日本人を懐柔するために日本人によって首相の座に据えられた傀儡にすぎない首相Aが英語で述べる演説内容は、全く無意味で形容矛盾に満ちて論理破綻しているのだが、「戦争主義的世界的平和主義」が「積極的平和主義」のパロディーに過ぎないのは誰でもすぐに分かることだろうが、それにとどまらず、昨今テレビニュースで流れてくる例えば「緊急事態」をめぐる「武力攻撃事態」「武力攻撃予測事態」「緊急対処事態」「存立事態」「重要影響事態」等の言葉、報道ステーションの報道内容に対して自民党が「公平中立な番組作成」を要請する事態等々、政権によって語られる「言葉」の無意味さ、軽さ、空虚さ、すり替え等々と何が異なるのかと思い至ると、その滑稽さは空恐ろしさへと変わる。
そこまで思い至ると、本書の最後の数ページで語られる新しい日本は、まさに今現在の日本であることに、はたと気づくのである。
では私たちは今、どうすればいいのか?
「であれば私は、私にとって迷惑でしかない物語を覆す別の物語を描き出すしかないのではなかろうか? 作家の本分を発揮することがいまほど必要だった例しがあっただろうか? 周りが勝手に仕立てて稼働させる物語が気に食わないなら、自分の手で物語を産み出し、対抗すべきではあるまいか?」

なお、作者は本書を安倍首相に送ったというので、おせっかいにも彼の身の安全を心配していたのだが、本書を読んでひとまず安心した。何故なら、恐らく私以上に小説(特に純文学)など読まないその人は、仮に側近のチェックを通って彼の手元に本が届いたとしても、田中慎弥などという聞いたことのない作者のさして興味を惹かないタイトルの小説など目もくれず、長いこと私邸の書斎(そんなものがあったとして)の片隅で埃を被っていたことだろう。そして最近、取り巻きの口かネットでAが安倍総理を指しているという噂を聞きつけ、新橋あたりで寿司か天ぷらでも食った後帰宅して、寝床に潜り込み最初の1、2ページまで読んだところで、重たい上瞼が下瞼にくっついたきり、二度と読まれることはなかったに違いない。もし仮に、奇跡的に最後まで読み終える忍耐力があったとしても、その人がこの小説の真の意味を理解するとはとうてい思えない。「真っさらな地面に湧き出る泉の一滴。ものを見る、という本来の機能から解放された光に満ちている」目、「何かを見ようという意思が綺麗に欠けている」その人の目では。
ちなみに、あの新潮社がよくこのような本を出版したものだと思うのだが、最初は純文学小説として数千部を適当にばらまいて「はい、それまでよ」のつもりだったものが、想定外の売れいきで話題になったため、普通だったら即重版といきたいところだが、時節柄その方への配慮もあり慎重に検討した結果、もちろん担当編集者の強力な作者擁護もあっただろうが、要は上層部が、上述したように「単刀直入にテレビで政権批判した古賀茂明さんとは違い、難解な純文学作家の地味な小説だから、あの人も本質をよく理解できないだろう」「『I am not ABE』はさすがにあの人も理解し逆鱗に触れるだろうが、『宰相A』だったらいいんとちゃう」という判断に傾き、初版から2ヶ月近く経ってようやく重版となった次第と思われる。

3.11が産み落とした「安倍晋三」という怪獣 [Criticism]

もうすぐ3.11から4年が経とうとしている。あれから私の人生にはすごくいろいろなことがあり、あの頃のことを思い出すと、まだ4年しかたっていない…という気がする。一方、世の中に目を向けても、この4年であまりに多くのことがあり、激しく変化し、なのにまだ4年…と思う。そして、フクシマに目を向ければ、何も終わってはいないし、何もコントロールできていないし、放射能は制御できていない、まだたったの4年しか経っていないのだ。
なのに世間は、もう3.11のことなどはるか昔のことのように、もうとっくに過去の出来事のように思っているようだ。この1年間だけでも、フクシマや原発の報道がどれほど減ったことか!? そして、たとえ報じられたとしても、NHKをはじめ、復興、帰還へバイアスのかかった歪んだ報道が多い。
このブログで何度も繰り返してきたように、3.11こそ、その悲劇を糧にして、日本がいい方向へ変われる最後のチャンスだった。(今やはっきりと過去形で言おう。)実際、3.11によって目覚めた少なからぬ市民が、理不尽な原発を止めようと立ち上がり、翌2012年の夏へ向けて、放射能雲が垂れ込める梅雨空に咲く紫陽花のように、人々の群が大きな塊となって花開いたのだ。
しかし、ターニングポイントはあまりに早かった。野田の自爆解散によるその年の年末総選挙によって、花の果実はすべて摘み取られ、この国が真の民主主義国家へと生まれ変わるチャンスは永遠に奪い去られた。思えば3.11を間に挟んで、戦後初めて選挙によって政権交代を実現した民主党政権も、この時ともに、あだ花として摘み取られた。
そしてそれに代わって登場した安倍政権は、決して3.11以前の自民党政権への回帰ではなかった。3.11はよくも悪しくもこの国を後戻りできない新たな地平へと押し出したのだ。
だからこそ、敗戦後、米占領軍によって与えられた「戦後民主主義」の下、すべて他人任せのお任せ主義で築き上げてきた一億総無責任体制に終止符を打ち、今こそ、3.11によって明らかになった原子力ムラの理不尽をはじめとするこの国の隠された真実と、すべての国民は真正面から向き合い、そして自分の頭で考え、自らの意思で行動することが求められたはずだった。
しかし、この国の多くの人々はまたとないその機会をふいにした。フクシマの事態をわがことと受け止め、原発問題、放射能の問題と正面から取り組んで考えることを放棄し、政府・マスコミの垂れ流す情報を鵜呑みにして、フクシマの現実をなきものにし、3.11を忘却の彼方へ流そうとした。2012年12.16はその答えだった。かくして「安倍晋三」は、3.11の放射能によって受胎したわれわれ日本国民が産み落とした奇っ怪な怪獣であったのだ。だから、その後の安倍政権の暴走は、すべてその結果に過ぎない。
不謹慎な喩えかもしれないが、上村遼太君の死を、多くの国民は悼み、加害少年らに憤りをぶつけている。しかし、そうした人々は上村遼太君にはならないだろう。上村君は自ら意識せずに引き込まれた加害少年らのムラの正体に気づき、その真実と向き合い、そこから逃れるべく行動したために殺された。しかし、彼の死を悼み、加害少年らを指弾する多くの大人たちは、喩えていえば少年Bであり、少年Cなのだ。上村君のように自分を変えようとして、新たな未来を目ざして行動することもなく、いや、そんなことすら考える思考力もなければ、当然それに伴う行動力もなく、主犯の少年Aの言いなりになっていた少年B、少年Cに過ぎない。
上村君もそのように考えることをやめ、ひたすら少年Aの命令に忠実に、万引きをしたりパシリをしている限り、たまにAの気まぐれで殴られることはあっても、生きる自由=奴隷の自由を維持することはできただろう。
たまたま今話題の上村君を引き合いに出したけれど、これはイジメ社会に普遍的な構造であり、未成年のイジメ社会こそ、大人社会=ニッポンムラの原型である。
もうすぐオウム事件20年を迎えるが、今この国自体がオウム的カルト国家になっていることに、多くの人が気づかずに過ごしている。この国は、もはや政府の言う公式見解に背き、真実や事実をはっきりと主張する言論を許さない病に冒されつつある。フクシマオキナワは、いってみればニッポンムラにとっての上村君だ。一部の心ある友人が助けようとしてAの所へ押しかけても、それを人々は傍観するだけであり、それを報じるマスコミもない。彼らの行動に怒ったAが「上村君」のみならず、彼の味方をする人々をも圧殺しようとして、取り返しのつかないことをしたとしても、現実の社会はそれを隠蔽すらするかもしれない。そんな国や国民には、本当は「イスラム国」の残虐性を批判する権利も資格もないのかもしれない。
だが、奴隷の自由を享受する少年Bや少年Cも、実はいつ「次の上村君」になるか分からないのだ。その恐怖から逃れようとして、彼らはいっそう思考停止状態に陥るのだ。

九州電力の杜撰な再稼働申請のお陰で、川内原発1、2号機の再稼働は今秋にずれ込みそうだが、関電高浜原発3、4号機の再稼働もその頃になる見通しだ。ひとたび再稼働を認めれば、いよいよこの国は決して後戻りできない滅亡への道を歩み始めるだろう。最悪の場合は、関西以西で起きる第2のフクシマによって文字通り国土が人の住めなくなる滅亡をもたらすだろうし、そうでなくとも、そのような経済合理性にすら背く病的社会は、早晩経済的破綻を迎えるだろう。あるいは、再稼働で勢いづいた政権が一気に改憲へと突っ走り、「有志連合」の一員となって自ら泥沼の戦争へ足を踏み入れて滅んでいくかもしれない。
そうなっても、あなたがたは「少年A」の暴力的支配に黙ってひたすら耐え偲ぶのですか?

3.11以降強化された〈ムラ社会〉-美味しんぼとgodzilla [Criticism]

3.11から3年余り。あの地震と津波と原発の爆発を経験した私(たち)は、常にこうあるべき日本と、こうでしかなかった日本のギャップに引き裂かれてきた。あるべき日本の姿をいえば、東電福島第一原子力発電所の爆発事故のみならず、千年ぶりに襲った大地震と大津波に直面し、そこから本来、過去60年余りにわたって繁栄してきた戦後の経済的発展の遺産の上に、今こそそこから訣別して21世紀の世界に先駆ける新しい社会へ向けて真の復興と再生を遂げていくべきであった。そして、3年前の津波と原発の爆発によって荒涼と広がった瓦礫の山を前に呆然と佇む私(たち)は、それに敗戦後の2発の原子爆弾に焼き払われた広島と長崎に象徴される焼け野原の瓦礫を重ね、そこから奇跡の復興を遂げた戦後日本を思い起こし、新たな奇跡を信じようとした。しかし、現実の日本は、それとは全く逆の方向へと舵を切った。現状を1948年のありえなかった像に喩えてみれば、闇経済が国を蝕み、悪と暴力が社会を支配し、多くの無辜の民が餓死していく飢えと貧困の1948年である。
戦後日本社会は、〈ムラ社会〉を土台にして、その上に「民主主義」の外套を身にまとうことによって近代国家の装いを整えた。その装置は、平和国家の上に安定した経済成長を遂げていくには格好の組合せであった。しかし、3.11はその外套を引きはがし、この国をむき出しの〈ムラ社会〉にしてしまった。
〈ムラ社会〉の極端系は〈ムラ社会〉の再生産工場でもある学校における〈いじめ社会〉である。学校(クラス)という特殊な閉鎖空間では、いじめ加害者という特殊なリーダーの嗜好が「疑似社会」の常識として流通する。それがいかに一般社会の常識からかけ離れていていようと、クラスという閉鎖空間の中では一般常識が通用せず、いじめ加害者の嗜好が常識としてまかり通り、クラスの空気を支配する。そして、ひとたびいじめ加害者の眼鏡に適わないと判断された対象は、徹底的にいじめつくされ、排斥される。いじめの対象者は文字通り丸裸にされ、その人格を根こそぎ否定されつくされる。加害者にとっては被害者はうざいから、死ぬしか価値がない存在と見なされる。そうした特殊空間に身を置く者は、自分がそのいじめの対象にならないことだけを考え、それ以外の思考を停止する。そうした閉鎖社会にも、ときおり空気を読めない正義漢が登場する。彼は多くの「中立者」が見て見ぬ振りをするいじめ被害者に味方し、加害者を指弾する。そうすると、加害者の暴力の矛先はそのKYな「正義漢」へと向けられる。彼は彼を取り巻く同調者とともにその「正義漢」を二度と立ち上がれないほどボコボコに打ちのめす。多くの「中立者」は傍観を決め込むが、心情的に「正義漢」に同感する者はまれである。なぜなら、すでに彼らは、外の世界の常識を喪失し、加害者のコントロール下に置かれているのだから。それだけでない、徹底的に人格を破壊され尽くしたいじめ被害者も、必ずしも「正義漢」の登場を歓迎するわけではない。なぜなら、「正義漢」がボコボコにやられた後に、加害者のさらに凶暴化した暴力が自身に及ぶことを知っているからだ。
3.11以降の〈ニッポンムラ〉にとって、いじめの第一の対象はまさにフクシマの民である。彼らはことの発端からすでに棄民と決定された。やろうと思えばできたヨウ素剤の配布SPEEDIの公表も意図的にサボり、大量の初期被曝という暴力に晒された。さらにクラス(県)の加害者は被害者をクラスの外に出さずにクラスの勢力を維持するために、遠くのクラスから被害者をクラスの外に逃がさないための洗脳工作員を呼んだ。そうして県民を閉鎖空間に封じ込め、その多くをマインドコントロール下に置くことに成功した。しかし、忘れてならないのは、加害者にとって被害者はうざい存在、死ぬしか価値のない存在にすぎないことである。加害者にとってクラス内での絶対優位さえ確保できれば、被害者は死のうが病気になろうが知ったことではない。ただ、その原因が自分にはないと思い込ませればいいだけのことである。
そこに今回登場した空気の読めない正義漢は、雁屋哲という人物である。彼はクラスの外、そして学校の外の常識をもって、フクシマの異常さを告発した。だから、彼が加害者とその同調者によってボコボコに叩かれるのは、ある意味当然のなりゆきであった。そして、多くの傍観者らも、彼に同調するのは少数者であり、大部分は思考停止か加害者の消極的同調者である。
こうした異常ないじめ社会は、フクシマのみならず、今や日本社会そのものを支配する空気となってしまった。〈ニッポンムラ〉の加害者集団は、今や世界の常識から大きく逸脱し、理性も知性もかなぐり捨てて、ひたすら自分の嗜好、情念の赴くままに勝手に振る舞い、その同調者らは悪乗りして「○○殺せ!」と憎しみを限りに叫び続け、いじめ被害者に暴力をふるう。3.11から3年余りを経て、今この国は、水爆実験に汚染された島から目覚めた怪獣ゴジラのような奇怪な風景をさらけ出している。

ゴジラといえば、もうすぐハリウッド版GODZILLAがアメリカで封切られる。日本でも7月頃上映されるそうだ。しかし、もしこの映画が、日本で制作されていたら、おそらく国をあげて上映阻止に動いたであろう。「福島の風評被害を煽る」「福島県民に対する差別だ」というような理屈をつけて。上映禁止というような強権的措置はとらないだろうが、同調者をして上映館に圧力をかけさせ、空気を読んだ上映館は次々と上映を中止し、結局上映不能に陥るのだ。
さすがのこの国の加害者集団も、アメリカ製のこの映画にそのような乱暴な措置を強行する可能性は低いだろう。もしそんなことをすれば、またまた世界の常識の笑いものにされるだけだから。
いじめ加害者も「正義漢」が影響力を行使できないマイナーな存在だとシカトを決め込む。例えば、「朝日のあたる家」とか「希望の国」、はたまたフクシマの真実のみならず〈ムラ社会〉の本質にも迫った「おだやかな日常」等というマイナーな反原発映画はほっておけばいいのである。だが、「美味しんぼ」のように、大手出版社の出す社会的影響力のあるエンタメまんが雑誌の人気まんがの「正義漢」は、「たかがまんが」としかとするわけにはいかなかった。
ゴジラの話に戻るが、アメリカのオフィシャルサイトの予告編では、どういうわけかアジア版のみ、原発が爆発するシーンがのっていない(http://www.godzillamovie.com/)。ワーナー側の配慮か東宝等日本サイドの要求なのか、7月上映に向けて日本版予告編が各映画館で上映される際には、原発爆発シーンはおろか、少しでも原発を連想させるようなシーンは一切カットされることだろう。(下手をすると本編にも手が加えられる可能性すら否定できない。)

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かくして、あるべき日本とこうでしかなかった日本のギャップに引き裂かれ、もだえ苦しんでいるのは、この国で私ひとりだけなのだろうか?

ムラ社会と天皇制とファシズム [Criticism]

私が小学生の頃、同世代の子どもたちは「巨人・大鵬・卵焼き」が3大好きなものだったが、天の邪鬼な私は「巨人・天皇・自民党」が3大嫌いなものだった。共通項は権力・権威。この場合の天皇は昭和天皇である。侵略戦争に積極的に加担しながら退位もせず、戦後「人間宣言」して神から人間に転向したあの老人の姿と人間性を、私は生理的に嫌悪した。
時は流れて、今の天皇は戦後、アメリカ式民主主義とイギリス式帝王学を徹底的にたたき込まれただけあって、象徴天皇制の本分をしっかりとわきまえて職務を遂行している。その発言や人への接し方をマスコミを通して見る限り、民主的でリベラルな思想、暖かな人間性には、一人の人間として、正直私も好感を覚えるし、共鳴することもある。
この1年、世の中が急激にファッショ化する中で迎えた先日の天皇誕生日の天皇の「お言葉」は、象徴天皇としての職務に忠実であらんとする故の、今の日本社会への危機意識が表出されていて、昨年までだったら聞き流されていただろう内容が俄然輝きを発して、Twitterのフォロワーの中にも共感を表明する者が少なくなかった。
ここにきて、安倍晋三を含む自称「天皇主義者」=右翼と、現実の天皇と一般国民との間に、奇妙ななじれ現象が生じているように見える。従来天皇の側には「天皇陛下万歳!」を叫ぶ右翼がいて、左翼やリベラル派は一歩引いて護憲を叫んでいたのが、今では右翼勢力は皇太子妃やその娘に公然と「不敬」をはたらいて天皇を貶め、護憲派が天皇擁護派となっている。(山本太郎の「直訴事件」もこの文脈の中にある。)
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天皇制をめぐるふたつの問題
ふたつのことをはっきりさせておきたい。
まず第一に、自称「天皇主義者」らが叫ぶ「天皇陛下万歳!」の天皇とは、現実に存在する人間天皇ではなく、「皇国史観」に基づく明治から昭和の敗戦までの絶対主義的な「天皇」理念であり、安倍晋三が政治利用した「主権回復の日」に万歳三唱した「天皇」は、それを困惑して受け止めた人間天皇ではなく、その背後に明治天皇や昭和天皇に具現化されるそのような天皇像を幻視していたのである。
さすがに公言はしないが、だから自称天皇主義右翼にとっては、今の天皇は目の上のたんこぶであり、その発言はいちいち耳障りであり、できれば封印してしまいたい。憲法や民主主義、戦争への反省にとどまらず、最近菅谷明松本市長に語ったという「福島のこと、よろしくお願いします」という発言や、今から12年前の「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。」などという発言は、大部分嫌韓派でもある彼らとしては絶対に認められない暴言に違いない。だから彼らは、その直系である皇太子の妻や子どもを侮辱することによって憂さを晴らすとともに、間接的に象徴天皇制と今の天皇・皇后の存在を否定しているのである。
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もうひとつは民主主義擁護派の問題である。
昨日も述べたように、アメリカは戦後日本に民主主義をもたらすとともに、天皇制を解体せずに統治支配の道具として温存した。そしてそのことを、大部分の日本人は喜々として受け入れ、「現人神」から「人間」に変身した同じ天皇を、これまた何の反省も懐疑も抱くことなく、ありがたく尊崇した。しかし、実際には象徴天皇制はアメリカが意図したようにヨーロッパ諸国のロイヤルファミリーのようなものとして機能するよりは、一部の「天皇主義」右翼の政治利用の具とされ、民主主義・不戦とセットにされるのではなく、反対に戦争するための軍隊の復活を含む戦前の「国体回帰」の道具としてあり続けてきた。
そして、昨日も述べたように、右から左、180度異なるものをヌエ的になんでも受け入れてしまうムラ社会=日本ムラは、かつて「現人神」から「人間天皇」を受け入れたように、その反対も同様にまた再び受け入れるに違いない。
私たちは当面ファシズムを許さないために現憲法を守り抜かなければならず、現憲法を守る以上は「象徴天皇制」も守らなければならないが、常にその先には非人間的な天皇という存在そのものの解体を視野に入れておく必要がある。
天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。」この言葉から、私は現天皇以上に、天皇という存在の非人間性、不条理性、不平等を身に染みて実感してきた人はいないのではないかと思う。80歳の誕生日に自らの孤独を語らなければならないことほど不幸なことはないではないか! 天皇制からの天皇の解放は、ムラ社会からの私たち自身の解放と表裏一体のものである。

ファシズムを生みだすムラ社会という温床 [Criticism]

朝日新聞の20代の意識に関する世論調査結果を見て、暗澹たる気分になった。そこには、ファシズムを目ざす安倍晋三を受容する、20代に限らぬ現在の日本人の意識構造がくっきりと浮かび上がっているように思われた。いつから世の中はこんなにも変わってしまたのか? いや、表面的には変わったかもしれないが、これはむしろ、何十年も前から何も変わっていないことの証左かもしれない。
1945年の敗戦後、日本人はアメリカによって解放され(共産党の「解放軍」規定)、軍国主義・ファシズムを放棄させられた国民は、彼らによってもたらされた民主主義をなんの違和感もなく受容した。そして、一方で天皇制が維持されつつ、戦前の皇国史観にしがみつく右翼勢力を温存し、その対極にはマルクス主義を中心とした左翼が台頭しながらも、55年体制の確立によって、政治の主流は左右両派のバランスの上に、幅広いスペクトラムを形成して、保守主義の安定した体制を構築していった。
つまり、日本の戦後民主主義とは、よくいわれるように人民自らが勝ち取ったものでなく外部から与えられたもの、という以上に、あれだけの歴史的転換と社会的激変を経ながらも、国民意識的には、冬の外套を脱ぎ捨て春のコートに着替えるように、軍国主義・ファシズムという外套を何の苦もなく脱ぎ捨て、そのことへの一片の反省もなく、今度は「解放軍」がもたらしてくれたスプリングコートに喜々として飛びついたにすぎないファッション感覚以上の重みを持たない無思考の産物だったということだ。
この驚くべき無思考とそれ故の無節操とイコール「寛容」さこそ、日本的ムラ社会の特性であり、その「寛容」は、ひとたび社会が閉塞状況に陥れば、いとも簡単に「偏狭」へと逆転しうるヌエのようなものである。
それでも、戦後半世紀は世界的な冷戦構造と左右イデオロギーの対立の反映と、エコノミックアニマルというムラ社会の生き物たちが支えた経済成長のお陰で、無思考こそが社会がうまく回る秘訣でさえあった。
歯車がかみ合わなくなり始めたのは、ソ連崩壊をもたらした社会主義の崩壊とそれに引き続く資本主義の終焉の始まりであった。
左右の対立というやじろべえによってバランスを保っていた自民党一党独裁民主主義は、左のリタイアによってバランスを崩し、今やとどめようのない右への暴走を続けている。この半世紀余りの間に、西欧ではユーロコミュニズム福祉社会緑の党など、時代の変化に対応した新たな社会の模索を懸命に続けてきたが、その間、この国は経済成長と物質的豊かさを享受するばかりで、再び来る冬支度を調えるどころか、わが世の春が永続するかのごとく錯覚し、いっそう思考力を麻痺させ、ムラ社会の日常生活に没入してきた。
少なくとも、バブル経済が崩壊した時点で、国民は長い春の夢から覚めなければならなかったであろうが、その後も20年以上、思考力は麻痺し続けてきた。そして3.11を迎えた。
今さら西欧社会に数十年遅れて福祉社会など目ざすべくもなかった。1億こぞって一部の政治屋らにおまかせしてきた無責任のつけというべきか、政治屋どもは右も左も問わず半世紀以上進化を止めてシーラカンス化し、「気候変動」に適応しきれず死に体を呈している時に、長い冬眠生活から突如寝覚めたのが、20世紀前半に猛威をふるったファシズムの亡霊どもであった。
人々は今、60年以上前に喜々として飛びついた民主主義という衣装を脱ぎ捨て、とうに処分されたはずだった軍国主義・ファシズムという外套を、この冬の時代にふさわしいファッションとして、何の違和感も覚えず、無批判・無思考に身にまとおうとしている。
そう、ムラ社会は何も変わっていなかったのだ。人々から想像力、創造性、未来志向等、プラス思考を奪って奴隷根性に縛り付けるのがムラ社会であり、その起源は江戸時代にあるのか明治以降かはさておいて、日本社会に百年以上根づいてきている病根だ。この病根を絶ちきらない限り、この社会はヌエのようにいかようにでも無節操な変転を繰り返すだろうし、ときには破滅へと向かう暴走さえ押しとどめることはできない。

今改めて『神戸事件を読む』を読む-謀略国家はその時すでに正体を現していた [Criticism]

神戸事件といえば酒鬼薔薇聖斗の名で世間を震撼させた事件で、当時、私もテレビのワイドショーに毎日釘付けになり、14歳の中学生の逮捕に衝撃を受けたものである。
その後、革マル派が少年Aは冤罪で、事件は権力の謀略だと主張しているということを、どこかで聞いたような記憶はある。しかし、革マルといえば、70年代の中核派との内ゲバも、中核を操る権力の謀略だと主張していたので、私もそんな革マルの冤罪論には全く耳を貸さなかった。
しかし、当時革マル以外にも少年の無実を主張して本を書いていたジャーナリストがいた。それが本書の著者、熊谷秀彦であった。
神戸.jpg本書を先入観なしに読めば、恐らく10人中9人は少年が無実であると判断すると思う。この事件は少年事件として処理されたため、公開の裁判がなされず、事実審理よりも容疑者=犯人の前提に立って、本人の更生を目的とした審理が行われたために、冤罪が暴かれることもなかったが、一般の刑事裁判として裁かれていれば、検察側の論理破綻は目を覆うばかりであったはずだ。著者は、公表された調書や当時の新聞雑誌記事等を丹念に整理し、少年にはこのような犯罪を起こしようがない証拠をいくつもあげ、逆に、冤罪を疑わなかった当時のマスコミを厳しく指弾している。
権力者が自らの権力や利権を維持するためにはどんなことでもすること、それに対してマスコミが全く無抵抗であることは、3.11以降、多くの人に認識されることになった。それと全く同じ構造が、この事件にもはっきりと見てとれるのである。当時のマスコミ報道は独自取材、独自分析の一切ない警察情報の垂れ流しで、しかも、少年逮捕の前と後でいくつもの明らかで決定的な矛盾が生じたにもかかわらず、マスコミはそれを検証することを全く放棄した。
また、週刊誌各誌の報道も、「週刊新潮」が革マル批判によって冤罪の問題提起をもみ消そうとしたこと、また、週刊誌でないが「文藝春秋」が検事調書を公開して少年犯人説を補強したこと、一方、唯一警察の捜査に疑問を投げかけたのが「週刊現代」であったことなどは、3.11後の原発報道や最近では山本太郎をめぐる報道などと本質を一にしている。
次に、この事件は、単に少年が冤罪であるだけでなく、「警察内部犯行説」の浮上により、当時中学校で弱い立場にあった少年が生け贄として逮捕された可能性が高いということだ。つまり、少年は単なる誤認逮捕ではなく、権力犯罪の犠牲者であったというのである。

以上が12年前に出版された本書の主張であるが、それを補強・発展させた論として、「東電OL殺人事件と神戸サカキバラ事件」(2011年5月9日:http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/761.html)がある。この論はあくまで推論の積み重ねに過ぎないのだが、神戸事件の発端となった小学生殺害事件が1997年5月24日に起きているが、その4日前の20日に、3月に発生した東電女性社員殺害事件の容疑者として、昨年無実が確定したネパール人マイナリさんが逮捕されている。東電事件自体、当時の東電最高幹部が女性と関係があったとか、女性ががんで死んだ父親とともに、社内の反原発派であったことなどが言われ、マイナリさんの無実が確定した今、謀殺の可能性がますます高くなっている。そのマイナリさん逮捕に疑念が向けられるのを阻止するために、警察権力(とそれを操る影の勢力)が、智恵遅れの小学生をまず殺してさらし首にし、世間の耳目をそちらに向けさせ、真犯人を隠蔽するため、学校に居場所がなく不登校だった14歳の少年を犯人に仕立て上げた二重の権力犯罪だという説だ。(ちなみに熊谷氏は、酒鬼薔薇聖斗という名前は、裂け、鬼腹(=障害者を身ごもった妊婦)、生徒の当て字だという説を紹介している。)
東電事件との関係をいうのは極論としても(私は全くありえない推論とも思えないが)、14歳の少年の逮捕は、後の少年法改悪に大きな役割を果たしたことは誰も否定できない事実である。少年は何重にも権力に利用され尽くしたのである。
少年は今年30歳になったはずだ。恐らく、逮捕時から、常軌を逸した警察の脅し、懐柔、洗脳を受け続け、今は全く精神の抜け殻状態で、どこかでひっそり「余生」を送っているはずだ。その存在そのものを抹殺されていない限り。少年を世間のさらし者にした挙げ句、猟奇殺人の汚名を着せた責任は、東電福島の事故を許し、その後も福島の被曝者を棄民し、原発再稼働を許そうとしている責任同様、回り回って国民すべてにのしかかっているはずだ。
謀略国家の正体がまだ見えないと言うのなら、次はどんなとてつもない謀略を許すことになるのだろうか?

日本ムラはいじめ学級 [Criticism]

この国において学校という存在は、ムラ社会を拡大再生産していくムラの住人製造工場のようなものだ。いじいめ学級には数人の「いじめっ子」がいて、そのうちの1人がボス的存在だ。そして、クラスには1名ないし数名の「いじめられっ子」がいて、その他の生徒は一見中立的立場に見えるが、実際には積極的・消極的に「いじめっ子」に加担している。この小さな社会を支配しているのは、ただひとつ、「いじめの論理」である。
この小さな社会で、少数の「いじめられっ子」は「いじめっ子」からどんな理不尽な仕打ちや要求をされても、それを理不尽と思う思考能力さえ失い、ただ無批判にそれに従う。「死ね!」と言われれば、そうするしかないと思いつめて死んでしまう。「いじめられっ子」が「いじめっ子」、あるいはそれに積極的・消極的に加担しているクラスに立ち向かうことなど、奇跡に等しい。そもそもその子からは批判力反抗心などは「いじめられっ子」になる前から奪われているのだ。
翻って、この国の現実社会でも、全く同じことが行われている。「いじめられっ子」は200万の生活保護受給者であり、過労寸前の強制労働を強いられているブラック企業で働く人たちであり、追い出し部屋に追いやられた社員たちであり、福島原発被災者たちであり、沖縄の基地周辺住民であり、明日をも知れぬネットカフェ暮らしの派遣社員であり、そこから滑り落ちたホームレスであり……。以前は人口のごく一部を占め社会からは目立たない少数者であったが、今では日に日にその数をましている人々である。
彼らは企業など彼らを支配する「いじめっ子」にどんな理不尽な仕打ちや要求をされても、それを理不尽と思う思考能力さえ失い、ただ無批判にそれに従う。「死ね!」と言われれば、そうするしかないと思いつめて死んでしまう。「いじめられっ子」が「いじめっ子」、あるいはそれに積極的・消極的に加担している中間的な立場の人々に立ち向かうことなど、奇跡に等しい。そもそも彼らからは批判力、反抗心などは「いじめられっ子」になる前から奪われているのだ。せいぜい、「いじめられっ子」が彼らより弱い立場の者がいればその子を隠微にいじめて自らを慰めるように、そうする。たまに死に向かう最後のエネルギーが誤って外部に漏れ出すと、抵抗する術のないか弱き者たちへの凶暴な行為となって現れることもあるが……。
その「いじめっ子」の予備軍である一見中立的立場に見える中間層は、意識下で自分が次のいじめの標的にされるかもしれない恐怖心に怯えながら、その恐怖心を「いじめられっ子」を攻撃することによって麻痺させている。そしてそうすることによって「いじめっ子」に加担し、彼らに媚びを売ってどうか自分を「いじめられっ子」にしないでくれとはかない哀願をする。だから彼らには、「いじめられっ子」に同情する余裕もなければ、自分が「いじめられっ子」になったときのことを想像する勇気もない。かといって、積極的に「いじめっ子」に加担するには良心の呵責を覚えるので、できることなら見て見ぬふりを決め込みたい。
こうしてこの世は「いじめっ子」らの天国、彼らのやりたい放題だ。いじめの論理だけが世の中で唯一正しい掟=法となる。
ただ、「いじめっ子」はワルの集団だから、クラスの中では唯一の権力者だが、クラスの外、あるいは学校の外ではそれ以上のワルとつるんでいることが往々にしてあり、「いじめっ子」はそのワルには全く頭が上がらない。この国の「いじめっ子」にとってのアメリカというワルのような存在だ。
そうして「いじめっ子」は、外の世界では大ワルの顔色を常にうかがいつつも、彼にこき使われ、パシリをさせられたり、ワルの機嫌が悪いと殴られたり蹴られたりするので、その腹いせによけいクラスの中で「いじめられっ子」にひどい仕打ちをするし、時には自分たちを除いたクラス全体に暴力的に振る舞ったり、ムラの掟を勝手に変えてより凶暴になったりする。

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