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時代の空気1988-2017ー昭和Xデーとアベ独裁 [Politics]

もう30年近く前のことだ。それ以降に生まれた世代、あるいはその頃のことは記憶に残っていない世代も多いことだろう。1988年9月、ソウルオリンピックが開かれ、日本も水泳の鈴木大地選手やシンクロの小谷実可子選手の活躍などで大いに盛り上がった半面、その最中に昭和天皇ヒロヒトが倒れ、以降翌年正月明けに「崩御」するまで、異様な「自粛」ムードに包まれた。
当時私はテレビといえばタモリの「今夜は最高」と「ニュースステーション」くらいしか見ていなかったので、ワイドショーの様子などは全く知らないのだが、ひとつだけ記憶に鮮明なのは、井上陽水が出た日産セフィーロの「くうねるあそぶ。」のCMが、陽水の「みなさん、お元気ですか?」という台詞とともに「不謹慎だ」ということで放映中止になった「事件」だ。「象徴」という曖昧な地位の人間の死に、国民は厳粛な気持ちをもって臨まなければならないという「自粛ムード」の息苦しさに、天皇制を否定する私は耐えがたい苦痛を覚えた。
彼が死んだ日、私はちょうど当時持っていた深紅のベストを着て街に出た。それが私にできる最大限の「自粛ムード」への抗議であり、世の中にはそれさえはばかられるという同調圧力が流れていた。昨年のプミポン国王死去時のタイの風景を思い出してみればいい。プミポンは国民に慕われていたというが、ヒロヒトに対する国民の感情は複雑で、私も彼には戦争責任があると思い、また、「あっ、そ。それは文学的アヤの問題です」などと、すっとぼけた猫背のキャラにも嫌悪感を抱いていた。
彼の死後、1年の服喪期間はさすがに「自粛ムード」もどこへやら、世の中は翌年11月に予定されている新天皇の即位の儀、大嘗祭へと関心が移っていったが、今度は悲しみの強制から喜びの強制へと、まだまだこの重たく異常な空気が漂い続け、心底この国を出たいと思ったものだ。
ちょうどその頃、私は韓国人留学生と知り合い結婚し、折よくソウルで暮らすことになったので、後半の「祝賀ムード」の同調圧力を体験せずに済んだのだが……。

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昨年の朴槿恵退陣要求のデモ

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ソウルのデモで市民に歌われた歌


2013年以来、もう4年以上、あの時の息苦しさを凌ぐ窒息状態が続いている。そしてそれは弱まるどころがますます猖獗を極めている。毎朝、ニュースを読むたびに激しい怒りがこみ上げてくる。3.11以来、私は異次元へ迷い込んでしまったのか、長い悪夢を見続けているのかと思われる日々が続いてきた。
森友疑惑は当初、この悪い空気を断ち切る天から降ってきた絶好の機会と思われた。それまでの自粛、自己規制、忖度がウソのように、マスコミも連日この問題を報道した。以前だったら、閣僚の20人くらいの首が飛んでいただろうこのならず者政権も、ついに年貢の納め時が来たかと浮き足だったものだ。
だが、変わったと思われたマスコミの報道姿勢も、単に視聴率狙いと「みんなで渡れば怖くない」心理のたまものに過ぎなかったようで、問題の核心追及には及び腰で、それはある程度野党にも共通している。共産党も含めて、野党にはこの機を逃せばアベを倒せるチャンスは永遠に失うという危機意識が欠如しているようだ。それは市民の側も同様だ。昨年、朴槿恵退陣を求め、毎週100万、200万の市民が立ち上がった韓国の様子をうらやましく眺めていた私は、天地がひっくり返ってもこの国では100万、200万の市民が立ち上がることなどあるまいと思いつつも、せめて一桁少ないくらいのデモが起きてしかるべきじゃないかとは思っているのだが、脱原発、戦争法で国会周辺を埋め尽くした市民はどこへ行ってしまったのか?
ましてや一般国民をや、である。「森友劇場」の観衆は、面白おかしくそれを消費するだけで、その本質にはいっこうに目を向けようとしない。「だって、安倍さん以外に適当な人はいないでしょ」とへらへら笑っているだけだ。どうやらこの国の人々のアパシー、政治バカに、つける薬はなさそうだ。ただでさえそうなのに、この4年間のマスコミの御用化と政権の既成事実の積み重ねとマインドコントロールにすっかり魂を抜かれてしまったようだ。
目ざとくそれを見抜いた安倍晋三・日本会議一味は、ここへきて、あろうことか土俵際へ追いやられた「森友」そのものを武器に、籠池氏を切った刀で「森友」を全国化・普遍化するウルトラCの一発逆転マジックに打って出てきた。やれ、「教育勅語を学校で教えてもいい」、「『わが闘争』も教えてもいい」等々と閣議決定を乱発、それに便乗し、文科省は「銃剣道を体育で教える」とまで言い出した。
前述したように、私は「森友疑獄」でアベの首を取れなければ、アベが死ぬか重体に陥るまでこの独裁政権は続くし、これを機に「自主憲法」制定はじめ、極右独裁路線を一気に強化し、北朝鮮超えの異次元に入ると思っている。アベは「北朝鮮はサリンをばらまく」というようなフェイクを飛ばすくらいだから、かつて関東軍がやらかした柳条湖事件のように、国内でテロ事件をでっち上げて北朝鮮攻撃の口実にするくらいのことは平気でしかねない。もしそうなったら、私は逃げる。いや、それ以前に逃げる。どこか安全な第三国に亡命する。そうでなくとも、3.11の原発爆発で国土は放射能で汚染され、事故に学ぶこともなく原発再稼働に突き進む中で、いつ次の巨大地震が起きないかと不安に怯えながら暮らしているこの国だ。
私だって長年住み慣れたわが家を捨てたくはない。愛着もある。しかし、今にも崩れ落ちそうな、朽ち果てそうな、あるいは燃え落ちそうな家を死守する気は毛頭ない。そんな家と心中するつもりはない。たとえその家の中で、「おい、逃げるのか! 裏切り者!」と叫んでいる人々がいようと、知ったこっちゃない。それが理性と常識を備えた大人の判断だろうと思う。
もちろん、そうなる前に本来の安心して住める家を取り戻したい思う。しかし、それは私ひとりの力だけではどうにもならないことなのだ。
私は今でも「森友疑獄」、さらには「家計疑惑」をマスコミ、野党、市民が一体となって徹底追及することで、アベを倒せると思っている。しかし、それと同じくらい、このチャンスを逃したら、永遠にアベの悪魔の尻尾をつかむことはできなくなると思っているのだ。

民進党 蓮舫代表、山尾志桜里幹事長に期待する! [Politics]

9月の民進党代表選に蓮舫氏が出馬を表明した。先の都知事選で名前が挙がり、もし出馬していたら小池百合子を破って都知事になっていた確率が高かったろうが、それを蹴って満を持しての代表選出馬と思われる。

無残な野党の敗北
私は先の参院選に先立ち、野党共闘では改憲勢力の3分の2は阻止できない、安倍を倒すことができるのは市民新党の結成だけだと主張してきたが、不幸にもその予測の前半は的中してしまった。後半については、小林節氏が孤軍奮闘して「国民怒りの声」を立ち上げたが、笛吹けど踊らず、不発のまま期待外れの結果に終わった。そして、唯一希望の星であった三宅洋平の選挙フェスも、覚醒した市民の動員力こそピカイチだったが、サイレントマジョリティとの断絶甚だしく、残念な結末を迎えた。彼が山本太郎と夢見た日本版ポデモスの結成も露と消え果てた。
そして迎えた都知事選は、野党共闘の無残な敗北をもたらした。鳥越俊太郎は遠くサンダースの足下にも及ばず、対する小池百合子はカネの汚さだけはヒラリーばりだが、内実は日本のトランプに近い。海外の右翼ポピュリストは正直に自分の思想・意見を吐露し、大衆を扇動するが、日本のそれは本心をひた隠し、もっぱらイメージで勝負し、有権者はそれに踊らされる。
恐らく安倍晋三は、18年末までの衆議院の任期を最大限に引き延ばして、その間に緊急事態条項の”お試し”改憲に打って出てくるだろう。そしてそれが通れば、維新の道州制や公明の環境権とかを取り込みつつ、自民改憲案も妥協するふりをしつつ、国防軍創設家族条項など、押さえるところはしっかり押さえた全面改定案を提示し、乗り切る作戦だろう。
その間、時間との勝負で、勝てると踏めば任期途中での衆議院解散を仕掛けることも十分ありうる。

選挙は祭りだ
そうしたとき、次の衆議院選で野党が勝利し、安倍を退陣に追い込む可能性は1%でもあるのだろうか? 改憲は安倍が目論むほどスムースにいくとは限らない。”お試し改憲”以前の総選挙も考えられる。いずれにしろ、次の総選挙で野党が惨敗すれば、日本の議会制民主主義はその時点でシャットダウン、強制終了を迎えることになると覚悟を決めなければならない。次の総選挙が今までのように自由にたたかえる最後のチャンスということだ。
野党共闘もダメ、市民新党もだめ、日本版ポデモスも、三宅洋平が100人、山本太郎が200人起てば可能だろうが、残念ながら彼らは1人ずつしかいない。だったら、残るはいくら色褪せ手垢にまみれていようと、野党第一党の民進党に期待する以外、現実的な道はなかろう。
ただ、今までのようなやり方では絶対に選挙に勝てない。野党共闘に統一名簿をプラスしても勝てない。発想そのものを変えなければならない。
三宅洋平がいう「選挙は祭り」というのは確かに正しい。日本に限らず、世界共通に、選挙は祭りだ。いくら政策だ、有権者の冷静な判断だなどと宣っても、選挙の帰趨を決するのは、政治家の扇動とそれになびく国民の情念だ。2009年の民主党の政権交代だって、「漢字の読めない首相」、「自民党賞味期限切れ」というマスコミの煽りがあり、その流れに乗った民主党が、マニフェスト政権交代というイメージ選挙に勝利しただけだ。そして、その各党のマニフェストをまともに読んだ国民が、果たしてどれだけいただろうか?
選挙はしょせん祭りだ。立派な神輿、派手な山車をしつらえ、そこに見栄えのいい御仁が担がれる。それを多くの人々が担いだり引いたりして神輿同士、山車同士が激しくぶつかり合う。それを見物する観衆が興奮のるつぼに包まれ、ひいきの神輿や山車に加勢する。
中にはリオのカーニバルのように、国中が興奮のるつぼに包まれる祭りもあるが、このところ日本の祭りはずっと低調を極めている。魅力的な神輿や山車がめっきり減ったからだ。祭りじゃなくてまるで葬列のようだ。こんな祭り、誰も見に来やしない。一部の祭り好きは一生懸命神輿を担いで盛り上がるが、一般の人々は家にこもってシラけているだけだ。

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国政へ女性の大量進出を!
民進党の代表選に蓮舫氏が起つという。またとない民進党再生のチャンスだ。なんせ、彼女は都知事選に立候補していたら小池百合子に勝ち得た唯一の人物だ。これ以上の神輿はいない。前原誠司氏は「時流が私を求めているかどうかも踏まえ判断」するなどと言っているが、誰もあなたを求めていない。リベラルの枝野幸男氏もダメ。官房長官時代の「直ちに影響はない」があなたに一生ついて回るだろう。ここは蓮舫擁立で党内がまとまるべきだ。
そして、幹事長には是非とも山尾志桜里氏を大胆に起用してもらいたい。これで国民の民進党に対するイメージが180度変わるだろう。
次は選挙戦略だ。まず是非ともやってほしいのが、候補者の4割は女性にすること。もちろん女なら誰でもいいわけじゃないのは、新内閣の閣僚を見れば一目瞭然。擁立過程で、思想・信条、政治へかける情熱等、しっかり見極めなければならない。そして、選挙公約にクォーター制の導入を掲げること。有権者の半数は女性だ。これで彼女らを味方につけよう。
それから、当然思想・信条、政治へかける情熱が前提になるが、著名人も積極的に擁立してもらい、比例区に立てて集票マシーンになってもらう。この国の著名人は、自ら新党の下に立ち上がる意気地などないが、既成政党から声がかかればホイホイ応じる人はけっこういるだろう。ましてや民進党執行部が腹をくくり、必死で出馬を要請すればなおのこと。そういう人も、当選したらそれなりの役割を果たしてくれるだろう。少なくとも、どこかの党の頭空っぽタレント議員たちより、よほどよい仕事をしてくれると思う。
さて、これで見栄えのいい神輿と担がれ役たちが整った。そうしたら、この間の国会内外のデモや選挙で培ってきたコアな市民を結集して担いでもらう。
あとは威勢のいいかけ声だ。シンプルなほどいい。蓮舫! 蓮舫! 多くの女性を国会へ! 蓮舫! 蓮舫! 庶民の手に政治を取り戻せ!
踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損、損! 選挙に行かなきゃ損、損! そうして祭りを最高に盛り上げよう。
その結果、議員に占める女性の割合が劇的に増加すれば、自ずと政治もいい方向へ変わっていくだろう。なんせ、日本の国会議員に占める女性議員の比率ランキングは100位をはるかに下回り、報道の自由度ランキングどころの騒ぎではない。日本の政治の腐敗、堕落、政治家の質低下、国会の幼稚園化の主な原因も、まさにここにこそあるのだから。

2016年7月10日、「戦後民主主義」息を引き取る [Politics]

教育とマスコミを支配下に置いた家父長制的・軍国主義的旧支配層の亡霊
2016年7月10日、「戦後民主主義」が71年目の真夏を目前に息を引き取った。「戦後民主主義」は疑似民主主義だった。第1に、敗戦後、日本人民自らが起ち上がってたたかい勝ち取ったものではなく、アメリカ占領軍によってもたらされたというその出自故に。第2に、政権交代がほとんどない、事実上の「官僚・1党独裁政治」の隠れ蓑に過ぎなかった故に。そして第3に、その結果として国民意識に根付くことのない「お任せ民主主義」、〈ある共同利益によって結ばれ、組織員に組織への無私の絶対的服従を課し、組織員の内発的思考と自発的行動を抑制し、そのムラ独特の「空気」に馴染みそれを「読む」ことを暗黙の了解事項とし、集団的規律から逸脱した者は徹底して排除し抹殺する非民主的システムである〉ムラ社会の裏返しの表の表現形態に過ぎなかった故に。
しかしこのシステムは同時に、事実上のアメリカの植民地支配のもと、戦後の復興から高度経済成長を経て大衆消費社会を謳歌する日本経済の絶頂期までは、これ以上都合のいいシステムはないほどうまく機能してきた。だから、国民の多くは、戦後の平和な社会とともに、この戦後民主主義が永遠に続くものと錯覚し続けてきたのだ。
しかし、戦後民主主義が人民がたたかいとった真の民主主義でなかった故にこそ、敗戦後すぐさま復活することができてしまった戦前の家父長制的で軍国主義的な支配層の生き残りたちにとっては、怨嗟と打倒の対象以外のなにものでもなかった。そして彼らにとっては、平和憲法こそ戦後民主主義の象徴であり、改憲=「自主憲法の制定」こそ憎き戦後民主主義を葬り去る最終目標に他ならなかった。
そうした家父長制的・軍国主義的旧支配層の亡霊らにとって、「当面の敵」は日教組朝日新聞であった。とりわけ「子どもたちを再び戦場へ送るな!」と児童・生徒に平和教育を行う日教組はすぐさま打倒すべき対象として、60~70年代に集中攻撃を繰り返し、とうとう80年代には事実上壊滅状態へと追い込むことに成功したのだった。
60~70年代に小中高時代を送った私は、その12年間に尊敬すべき教師にはたった1人しか出会えなかったし、時に場面緘黙症という「障がい」を抱え学校に居場所を見いだせなかった私にとっては、学校も教師もある意味「敵」でしかなかったのだが、それでも、当時の教師たちの世界を取り巻く空気は戦後民主主義のトーンで貫かれていたし、今よりずっとまともな社会科教育も受けられ、今では信じがたいことだが、「時間内職場集会=時限スト」という制限がつくものの、教職員のストライキで授業が自習になることもよくあった。だからその頃、学校は今よりいじめは少なかったし、政治も今よりタブーでなかったし、少しは自分で考え発言し行動する生徒たちもいた。
しかし、日教組が事実上解体させられて以降、児童・生徒のみならず、教師までが校長・教頭らによって管理される対象となり、部活指導をはじめ労働強化がなされ、30人学級など夢と消えた。そして、歴史教科書はどんどん書き換えられ、戦前の家父長制的・軍国主義的社会と彼ら支配層が行った犯罪行為を美化し正当化する教科書まで登場し流布されるに至った。
それでも家父長制的・軍国主義的旧支配層とその子や孫その同調者らも、朝日新聞をはじめとするマスコミにまではあまり露骨な介入は行わなかった。アメリカに公認された戦後民主主義に、それは反する行為であり、また、すべてがうまくいっていた時代に、そのような強権的手法は必要とされなかった。教育さえ支配下に収めれば、「人」の支配ができる。現在40代半ば以下の人々は、もはや戦後民主教育世代とはいえない。そして2006年、第1次安倍政権下に行われた教育基本法の改悪がその支配を完成させた。

日教組叩きから朝日新聞叩きへ
家父長制的・軍国主義的旧支配層の亡霊の意志は、その子と孫、同調者らによって連綿と引き継がれ、今や日本会議という形をとって隠然たる勢力を誇るに至った。折しも世界的な資本主義終焉期の危機的状況という時代状況と不幸にもシンクロしてしまった亡霊どもは、単なるアナクロニズムから一転して、時代の寵児にすら祭り上げられかねない存在に変貌を遂げた。事実、3・11後のカオスの中で生まれた第2次安倍政権は、自民党という衣をまといつつ権力を簒奪した復活した亡霊であり、アメリカのトランプ現象やヨーロッパの極右勢力台頭に先駆ける急先鋒となった。
捲土重来、憎き戦後民主主義を打ち倒し、自主憲法制定の秋とみた彼らは、このとき念願の朝日新聞打倒に打って出た。2014年、東電福島原発事故と従軍慰安婦問題を巡るふたつの「吉田証言」事件をきっかけに、朝日新聞の牙を抜き萎縮させた彼らは、すっかり味をしめて、彼らの気にくわない報道機関や番組に圧力をかけ、黙らせることにいともたやすく成功してしまった。それもそのはず、この国の「ジャーナリスト」は国民同様、今までただの一度も、報道の自由、表現の自由を勝ち取り守るために、組織的に権力に楯を突き、命がけでたたかった経験などない、単なるマスコミムラの住民に過ぎなかったからだ。
教育とマスコミを支配下においた彼らに、もはや恐れるべき敵は存在しない。不正選挙など行うまでもなく、選挙結果さえ自由自在に操れる。戦後民主主義が機能していたとき、「無党派層」は「反自民」と同義であり、投票率の増加は与党に不利というのが常識だったが、今やその常識も通用しない。森喜朗は「寝た子を起こすな」と言って物議を醸したが、今や選挙棄権層は「寝た子」ですらない、単なるでくの坊に過ぎない。昨夜の選挙特番の街頭インタビューでこんな場面を目にした。おいしいパンケーキの店に列をつくる20歳の女性。「選挙、関心ありません。3分の2? 何それ。おいしいパンケーキが食べられれば幸せ!」

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朝日新聞7月11日付より

そして選挙に行った有権者も、若い世代ほど与党支持者の比率が増していく。ポスト戦後教育世代だ。「中立」の名の下における偏向教育の大いなる果実だ。もちろん「パケーキの幸せ」もその成果に他ならない。

三宅洋平と「パンケーキの幸せ」との絶望的断絶
私はこのブログでも、再三再四、「安倍政権を倒せるのは市民連合ではなく市民新党だ」と訴えてきたが、不幸にしてその懸念を裏付ける結果になってしまった。市民連合主導による野党共闘の成果は一定程度現れたが、それは野党支持層の単純な足し算によってもたらされたものという側面が強く、少なくとも無党派層を強く引きつけ、無関心層の投票行動を強力に促すことはできなかった。
一人区の統一候補だけでなく比例区の統一名簿を主張して果たせなかった小林節氏がひとり決起し国民怒りの声をつくって起ち上がったことは大いに評価されるが、問題は「この指止まれ」と氏が叫んでも止まる知識人がひとりもいなかったことだ。当初小林氏は10人の候補の半分は著名人を予定していたが、結局名前の知れた既成政治家ふたり以外、無名の市民しか結集しなかった。この国の知識人もまた、言論、表現、学問の自由を守るために血を流してたたかい、取り戻した経験をほとんど持たないのだった。むしろ、先の戦争では積極的に侵略戦争に荷担していった拭いがたい過去を持つ。そして、そうした先の戦争の本質を鋭く抉り出した気鋭の学者も、国民怒りの声の支援に駆けつけはしたものの、自ら起つことは決してなかった。
そうしたなか、今回の選挙で唯一期待を抱かせたのは選挙フェスの三宅洋平だったが、残念ながら期待は願望に過ぎないという現実が突きつけられた。彼が国会に入り、山本太郎と日本版ポデモスを結成し、次期衆院選以降、多くの頼もしい同志とともに起ち上がれば、この国にもポスト安倍の明るい展望を拓くこともできただろうが、それは幻想と消えた。
3・11で年齢・階層を問わずに覚醒し、起ち上がった自覚した市民たちと、従順なムラ社会の住民との絶望的な断絶を感じざるを得ない。選挙フェスに集まった1万、2万の市民と、257,000票という現実との落差。3年前に彼もその推薦候補となりひとり票を集めた緑の党が泡沫政党として消えたのは、ひとえに彼らに「政治力」がなかったからと片づけられるが、三宅洋平のような山本太郎に勝るとも劣らない政治家力を持つ候補が落選せざるを得ないのが、その日とともに死んだ戦後民主主義の限界そのものだった気がする。
2012年年末の総選挙で安倍政権が登場したとき、私は今後少なくとも10年は、政治の力で脱原発を実現することはできないだろうと述べたが、この国の苦難はさらに果てしなく続くだろう。滅びて消え去るか、滅亡的危機を経て再生するか、もし再生の道が残されているのだとしたら、そのときこそ、それは私たち市民ひとりひとりが決死の思いで起ち上がり、たたかって未来を切り開いていく以外に方法はないだろう。



山本太郎代表、三宅洋平書記長で日本版ポデモスを! [Politics]

かねてから市民新党の設立を切望してきた私は、本参議院選挙に向けて小林節氏が立ち上げた「国民怒りの声」に大いに期待した。すぐにでもボランティアに志願しようかと思ったが、候補者の名前が確定するまで待つことにした。しかし、最終的に揃った候補者の顔ぶれを見て、落胆せざるを得なかった。小林氏自身、当初、著名人5名、一般公募5名と述べていたが、当初立候補した宝田明氏が途中で辞退し、いわゆる著名人は小林氏を除いては、元民主党国会議員の円より子氏と元自民党国会議員の小林興起氏のふたりだけだった。賛同人に名を連ねていた学者、芸能人等から最低2、3人は名乗りをあげるものと期待していたのだが…。
いわゆる進歩的知識人、リベラル派著名人に対する不信感は、3・11以降の脱原発運動の中で強く抱き、目立ちたがりでデモや集会で喋るのが大好きな文化人については、このブログでも何度も批判してきたが、もはやこの期に及んで、彼らには最終的に引導を渡す以外になさそうだ。私が信頼できる文化人は、山本太郎同志、そして気骨の人=小林節氏以外にはない。
そういうわけで、「国民怒りの声」への思いも急速に冷め、私は比例区で小林節氏に1票を投じることだけを決めた次第だ。

そうした中で、公示直前に立候補を表明したのが三宅洋平だった。そして、誰あろう山本太郎が全面支援だ。残念ながら私は三宅洋平に投票することはできないが、ある意味、今回の参院選で改憲勢力の3分の2阻止以上に、彼の当選を強く願う。
国会に「山本太郎」はふたりいらない。「三宅洋平」が必要なのだ。山本太郎は名より実を取り、揚げ足を取られないために、国会内でネクタイ姿の正装を通しているが、三宅洋平には長髪・髭・ジーパン姿で国会に選挙フェスのスタイルをそのまま持ち込んで、国会の「権威」をぶち壊し、国会を国民に解放してほしい。今時、国会がネクタイ姿の正装以外は御法度などという国がどれだけあるだろうか? ギリシャのチプラス首相を見よ! 外国の国王との面談にもノーネクタイを通したウルグアイのムヒカ元大統領を見よ! そして、スペインの市民新党=ポデモスのパブロ・イグレシアス党首。彼は奇しくも三宅洋平と同年生まれだ。

山本太郎代表に三宅洋平書記長で日本版ポデモス結成! そして、次の衆議院選挙では10名以上の彼らに続く型破りな候補者を擁立し選挙革命を起こし、既成政治を打ち破る21世紀の政治革命を実現していってほしい。
もっとも、その前提としては、今回の参院選で、何があっても改憲勢力の3分の2を阻止しなければならない。でなければ、次の衆院選の自由な選挙は望めないかもしれないのだから…。

健康保険制度の逆進性を是正し、上限撤廃、低所得者層の負担免除を! [Politics]

今日の朝日新聞に次のような記事が載っていた。

介護保険料滞納で差し押さえ、1万人超に 厚労省調査
 介護保険料を滞納して市区町村から資産の差し押さえ処分を受けた65歳以上の高齢者が、2014年度に1万人を超えた。65歳以上の保険料は介護保険制度が始まった00年度から1・7倍になっており、負担できない高齢者が増えていることが一因とみられる。厚生労働省の調査でわかった。
 厚労省が全国の1741市区町村を対象に調べたところ、滞納して処分を受けたのは517市区町村の計1万118人。調査を始めた12年度以降で最も多く、初めて1万人を超えた。
 65歳以上の介護保険料は年金が年額18万円以上なら天引きされ、満たなければ自治体に直接納める。差し押さえ処分は直接納付している人に集中しているとみられ、低年金者が高くなっている保険料に対応できなくなっているようだ。
 65歳以上の介護保険料は3年ごとに改定され、高齢化に伴い上昇している。00年度は全国平均で月2911円だったが、14年度は月4972円。15年度からは月5514円となっており、団塊の世代がすべて75歳以上になる25年度には8千円程度になると見込まれている。

わずか数千円の保険料が払えずに差し押さえとは、苛斂誅求そのもの。
介護保険に限らない。この国の保険制度は(も)実質崩壊寸前といっていいのではないか?
例えば、私の住む岡山市は全国的にも国民健康保険の料率が高い都市といわれているが、私が引っ越して3年間、そのことを肌身を通して実感している。そのうえ岡山市は、滞納者への差し押さえも全国でトップクラスといわれているので、納付が厳しいからといっておちおち先延ばしにしてばかりもいられない。上の記事がとても他人事とは思えない。
よくTPPとの関連で、TPPは日本の皆保険制度を破壊し、貧乏人はアメリカのように医療を受けられなくなるなどといわれるが、だからといって、今の日本の健康保険制度がベストとかベターということには断じてならない。

西欧の多くの国では医療費は原則無料で、デンマークのようにいくら高額の手術を受けても無料の国もあるのに、日本は原則3割自己負担というのもその一例だが、国民健康保険の場合、滞納世帯が372万世帯(18%;2013年)に上ることは、最も深刻な問題点だ。
元来、国民健康保険は会社員が加入する社会保険の埒外に置かれる農業従事者や自営業者を対象に設けられた制度だ。だが現実には、非正規雇用労働者などの被用者が35.3%、60歳以上の高齢者が32.4%(2010年)と、両者で全体の3分の2を占めている。その結果、国民健康保険加入者が増加し、国や各市町村の財政を圧迫することになっている。

なぜ5世帯に1世帯の割合もの滞納者を出すのかといえば、この制度の極端な逆進性にその原因がある。保険料率の計算は、所得割、均等割等とても複雑なのでついだまされてしまうが、また、運営主体の各市町村間の保険料の格差が激しいという問題も介在するが、大まかにいって世帯収入の1割弱、つまり10回以下の分納額で月収のちょうど1割程度と考えて大きな間違いはない。
しかし、ここで最大の問題点は、所得により保険料の上限が設けられている点だ。東京23区の場合だと、85万円だ。つまり、世帯収入が1千万ほどの世帯でも保険料は85万円だが、年収1億円の世帯でも同様に85万円だけ納めればいいのだ。
一方、低所得者は生活保護を受給して保険加入が免除されない限り、原則として収入の1割程度の保険料を払わなければならず、滞納すれば延滞金が加算され、さらにそれでも払えなければ差し押さえを食らうことになる。そして最終的には無保険状態に追い込まれる。

消費税でさえ、万人に一律に適用され、しかもモノを消費しなければ取られない。しかし、保険料はたとえ無収入でも払わなければならない一方で、例えば1億円の年収がある世帯主は0.85%の負担率にしかならないのだ。
ここでよく考えてみよう。たとえ同じ1割の負担でも、月収10万の人にとっての1万円はとても大きい。食費、居住費、光熱費は何をおいても払わなければならないし、病気をすれば医療費もかかる。どうしても保険料を含む税金はいちばん後回しにせざるをえなくなるだろう。
一方、月収1千万円の人にとっての100万円は、確かに10万の人の1万円に比べて、主観的な損得感でいえば大きな損失と感じられるかもしれないが、家計への影響はほとんどゼロといっていいだろう。1千万円から100万円を引いても、あと900万円も残るのだ。たとえ家族が何人いても、とても衣食住に困るとは考えにくい。

そうでなくても、パナマ文書タックスヘイブン問題で、富裕層の税金逃れが問題になっている。われわれ庶民が少しでも生活苦から逃れようと節税するのと、富裕層が強欲から合法・非合法な節税・脱税をするのと同列に論じることはできない。第一、富裕層はいくらでも逃げ道があるが、貧困層ほど税金逃れの道はない。生活保護で「国から恩恵を与えられる」まで、とことん搾り取られるだけだ。

国民健康保険税の上限は即時無条件に撤廃するべきだ。同時に、低所得者層へは収入に応じて段階的に保険料を軽減し、少なくとも相対的貧困ライン以下の世帯は全額免除とすべきだ
また、非正規雇用労働者は「非正規雇用労働者健康保険組合」でもつくり、非正規雇用労働者を雇う企業はその人員に応じて保険料の半額を負担させ、国や自治体の負担を軽減させるべきだ。
さらに、上限撤廃によって生じた財源を活かして、医療費無料化を追求すべきだ。


この夏の選挙は「日本会議」という亡霊どもとの最終決戦 [Politics]

例えばの話として、1970年に日航機を乗っ取って平壌へ飛んだ田宮高麿ら9人の赤軍派のメンバーが北朝鮮に渡らず日本に留まり、その後「明るい日本の未来をつくる会」という「市民団体」を結成し、日本の共産主義化を最終目標として草の根市民運動を展開し、地方議会への請願活動や署名活動を地道に積み重ねて国を動かし、ついに「ちょっとアホな山本太郎」を首相に担ぎ上げて知らぬ間に権力を握り、秘められた最終目標達成を目前にしているのだといったら、それはあり得ない空想物語として片づけられるだろう。しかし、それをそっくりそのまま左右を入れ替えた形で現在進行しているのが、日本会議と安倍政権の動きだといったらどうだろう。

戦後、「右翼」といえば街宣右翼を意味し、それは暴力団や総会屋といったダークサイドとしばしば結びつきつつ、「反共」を唯一の存在理由としてきた。したがって、彼らは東西冷戦構造が崩壊し、東欧社会主義体制が消滅すると同時に姿を消していった。
しかし、日本にはそうした「目に見える右翼」とは全く別に、日本を破滅へ導いた戦前の軍国主義勢力の生き残りとその亡霊たちからなる、明治憲法の復活とその時代への復古を目指す右翼集団が存在し続けてきた。

nh.jpg昔、新左翼の中に、その正体を隠して社会党などに潜入して合法的にその影響力を広めようという「加入戦術」をとる党派が存在した。私は日本会議と自民党の関係はそれに似たものと思ってきたが、菅野完著『日本会議の研究』(扶桑社新書)を読むと、その分析は正確ではなく、それはむしろ、彼らの組織力と動員力をエサにした「一本釣り」に近いものであることが分かった。彼らは左翼や市民運動の手法を学び、地方議会への請願活動や署名活動といった民主的手法を用いて元号法制化右派系歴史教科書の採択などを勝ち取り、地方議会はもちろん国会議員にも触手を伸ばし、ついに281名の議員を日本会議国会議員懇談会として配下において自民党を事実上乗っ取り、12名の閣僚によって内閣を掌握して、改憲という同じ夢を見る安倍晋三を「最高権力者」に担ぎ上げ、「明治憲法の復活」という最終目標に向かって今現在邁進している。注)

同書では、様々な宗教・宗派が参加する日本会議の実権を、実は「生長の家原理主義グループ」が牛耳っていることを実名を挙げて実証している。本書が発売直後にネット・リアル両書店の店頭から瞬く間に消え、そうこうするうちに日本会議が扶桑社に「内容に事実誤認がある」として出版停止を要求するに至った。言論弾圧は彼らの十八番だが、こうまで過剰な反応をするのを見ると、まさに痛いところを突かれたからと思わざるをえない。本書に続き、6月にかけて日本会議を論じた本の出版が相次ぐ。7月の参議院選挙を前に、グッドタイミングだ。すでに『日本会議の研究』は同会議の逆宣伝も手伝って、ベストセラーになっている。多くの国民に読まれ、今の政権の危険な本質に一人でも多くの有権者が気づいてくれることを願うばかりだ。

それにしても、彼ら「生長の家原理主義グループ」の面々の、ひとつの目標へ向けた粘り強い執念には驚かざるを得ない。対する左派やリベラルが、日本共産党さえ本来「最終目標」とすべき「社会主義社会の実現」を綱領という神棚に祭り上げて事実上社民政党化してしまった現在、彼らのように確固とした信念を持って戦略的に運動を展開している勢力が一つもないことを改めて痛感せざるをえない。
日本会議の動きが、たまたまバブル崩壊後にこの国が右肩下がりの凋落を続け、希望を持てない社会の中で排外主義やポピュリズムへの傾斜という世界的趨勢ともシンクロしたことが、不幸にして安倍政権という最悪の事態をもたらした側面はあるものの、逆もまた真なりで、日本会議のような存在がなければ、左弱右強のいびつな社会は招来しなかったのではないだろうか?

それにしても、何度も指摘するが、敗戦時にイタリアのパルチザンやドイツの反ナチ運動のような抵抗勢力が日本にも存在し、戦争犯罪人どもを日本国民の手によってしっかりと断罪し、天皇制を廃絶していれば、戦後政界に戦争犯罪人どもが復活したり、明治憲法の復活を夢見る右翼勢力が台頭するような社会にはならなかったであろう。そして、憲法制定会議によって真に自主的な民主憲法が制定されていれば、国民軍を保持することになったかもしれないが、アメリカの実質的な植民地状態に置かれることもなく、沖縄も含めアメリカ軍が日本の国土に70年もの長期にわたって駐留することもなかったであろう。ついでにいえば、その場合、一人の市井の少年として育つことになった安倍晋三も、戦犯として処刑された祖父を尊敬したり憧れることもなく、平凡な一生を送ってきたことだろう。まさに「安倍晋三」は「戦後社会」が産み落とした悲劇と喜劇の産物なのだ。

しかし、失われた歴史を取り戻すことはできない。今は現実をしっかりと見つめ、分析する必要がある。この夏の参議院選、あるいはダブルでくるかもしれない次期衆議院選が文字通り「最終決戦」となるだろう。そこで彼らの復古主義の野望を打ち砕けば、彼らの年齢からいっても、二度と戦前の亡霊を蘇らせることはないだろう。しかし、反対に負ければ、彼らの復古主義はこの国の民主主義の最終的敗北を刻印するだけでなく、日本という国の滅亡への最終章の始まりを意味することになるに違いない。いかなる意味においても……。
危機意識を共有しよう!

注:1955年、自由党と民主党の合併により、極右から中道リベラルまでの派閥連合からなる自由民主党が成立すると同時に、戦後、共産党を除く社会主義勢力が連合してできた後左右に分裂していた社会党が再統一した(国家社会主義的部分は後に分裂して民社党を結成)。その後40年近く、「永遠の2分の1野党」としての社会党が与党の補完勢力として機能する中、自民党の事実上の一党支配体制という特殊な「戦後民主主義体制」=55年体制が続いてきた。しかし、1996年に導入された小選挙区制によって自民党の派閥政治は解体し、社会党は党そのものの事実上の消滅をもたらした。そしてそれから16年後、自民党はついに日本会議に乗っ取られてしまった。

「国民怒りの声」で市民新党ブームを! [Politics]

憲法学者の小林節氏が「国民怒りの声」という政治団体を立ち上げ、参議院選挙で10名以上の候補者を比例区に擁立することを目指すと発表した。願わくば昨年来反戦争法をたたかってきた多くの無党派市民との合同記者会見であってほしかったが、私がかねてより主張してきた市民自らが市民新党を!という趣旨に合致した動きであり、日本の政治運動史上、2012年衆議院選挙での山本太郎の「新党今はひとり」の決起以来の快挙といっていい。小林氏はこの間一貫して、野党共闘こそが安倍を倒す道であると主張してきており、私は彼のそうした主張を現実を直視しないオプティミズムと批判してきたが、野党共闘に後ろ向きな民進党に業を煮やして、「これでは選挙に負ける」という危機意識を募らせたようだ。
先の衆議院北海道5区の補欠選挙の結果でも判明したように、たとえ野党共闘でたたかっても、有権者の関心が高まらず投票率が上がらなければ、野党共闘の勝利はおぼつかない。また、各種世論調査でも明らかなように、国民の多くは自民党にも期待していないが、それ以上に野党を信頼していない。

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朝日新聞世論調査(5月3日)


問題は政治不信に陥っている無党派層をいかに投票へ向かわせるかだ。それには風が必要であり、安倍を倒すことのできる風は市民新党ブーム以外にないと、私はこの間一貫して主張し続けてきた。
「国民怒りの声」は公約として、①言論の自由の回復、メディア大学への不介入、②消費増税の延期とまじめな行財政改革、③辺野古新基地建設の中止と対米再交渉、④TPP不承認と再交渉、⑤原発廃止と新エネルギーへの転換、⑥戦争法の廃止と関連予算福祉教育への転換、⑦改悪労働法制の改正等により共生社会の実現、⑧憲法改正ならぬ改悪の阻止、を掲げているが、これも私がイメージする市民新党の政策としてまっとうなものだ。
小林氏は今後候補者を公募するということだが、10名の候補者も集まらないようなら、この国はその時点で終わっている。もし候補者が集まり、「国民怒りの声」が野党共闘の核として台風の目になりうるとしたら、私もできうる限りの支援を惜しまない。
小林氏はバーニー・サンダースの選挙運動に倣いたいと述べているが、小林氏自身が日本のサンダースになる資格を十分に備えている。小林氏の決起を物心両面で支え、この夏、日本のサンダース旋風を巻き起こせるかどうか、それこそ日本の草の根民主主義の試金石だ。

1+1=2の市民連合・野党共闘で安倍は倒せない 今こそ市民新党を! [Politics]

日曜日の衆議院北海道5区補欠選挙は自民候補が勝ち、野党統一候補は善戦したものの勝利に結びつけることはできなかった。得票数は前回選挙の民主+共産とほぼ同じで、「共産と共闘すると保守票が逃げる」という民進党内部の保守派の主張は崩れたものの、投票率がイマイチだったことと合わせ、野党共闘が単純足し算の効果以上の化学変化を生まなかったことも証明してみせた。つまり、選挙に勝つために絶対必要な「風」が吹かなかったということであり、このことは市民連合が昨年来楽観視している「反戦争法」の「風」は国会周辺にしか吹いておらず、安保や憲法では選挙はたたかえないことを意味している。それはもっと大きな「風」どころか嵐にも匹敵すべきものだった「脱原発」が、2012年末選挙で全く凪いでしまったことで経験済みのはずだ。
私も今回の補選ではぜひ池田候補に勝ってほしかったので残念だが、図らずも私がこの間、このブログで主張してきている「安倍を倒すことができるのは市民連合ではなく市民新党だ」の正当性を傍証することにもなった。

改憲を唯一の政治目標と定めるさしもの安倍晋三も、熊本地震を前にして夏の衆参同時選を諦める様子だが、同時に熊本地震は「東日本大震災級の事情が生じない限り消費増税を延期しない」と言ってきた安倍に、消費税を据え置く格好の口実を与えもした。このままでは、参院選を野党共闘で臨んでも、改憲勢力の3分の2を阻止するのが精一杯だろう。そして、次にいつあるか分からない衆議院選で安倍を退陣に追い込み、共産党が主張するような「国民連合政権」構想が現実味を帯びるような状況などは夢のまた夢だろう。
今の日本の危機的状況を冷静かつ客観的に分析しなければならない。既成政党はさらに野党共闘を強化し衆議院選挙でもそれを追求する一方、民進党は脱原発や消費税引き下げ等、国民感覚に合った政策転換を推し進めると同時に、市民勢力は単に野党同士を結びつける+(プラス)の接着剤の役割を脱し、私がかねてから主張しているように、1歩も2歩も進んで自ら独自の政治勢力となってポスト資本主義を見すえた21世紀型の市民政党に脱皮し、市民新党の一大ブームを巻き起こして野党勢力に化学変化を起こし、4+1=10くらいの結果を生まない限り、アベ政治の悪夢は終わらないことを悟るべきだ。そして、その市民新党の中から日本のパブロ・イグレシアスやバーニー・サンダースを排出しよう!

改憲が最終決戦、今のままでは必敗、必勝の秘訣は? [Politics]

「デモをする社会」は「デモをしなければならない社会」
デモで社会は確実に変えられます。なぜならデモをすることで、デモをする社会をつくれるからです」と柄谷行人氏は言う。しかし「デモをする社会」とは、裏を返せば「デモをしなければならない社会」でもある。日本は戦後の高度成長期を経て、1970年代以降40年ほど「デモをしなくてもいい社会、デモなどしなくても大多数の国民が食べて暮らしていける社会」だったのだ。それが、3・11で、さすがの長いものに巻かれる政治音痴の日本人の中からも、「このままではいけない。このままでは日本は大変なことになる」と目覚めた市民たちがデモに立ち上がったに過ぎない。社会がそれほど危機的な状況に変わってしまったから、デモするしかない状況に国民が追い込まれたのであって、せめてもとの社会を取り戻そうとデモに立ち上がったに過ぎないのだ。
私自身のことを正直に白状すれば、1970年代前半~中盤の学生時代に学生運動をしていた頃は、私の運動への関わりは第1に〈自己変革〉であり、第2にそれと分かちがたく結びついた〈社会変革〉であって、決してその逆ではなかった。そして、〈自己変革〉にはリアリティがあったが、〈社会変革〉は単なるお題目に過ぎなかった。高度成長で世の中どんどん暮らし向きがよくなり、自分も学生という立場でその恩恵を受けていたのだから、〈革命〉のリアリティなど、いっしょに運動していた仲間の誰もが感じていなかったのではないか?

デモから政治を変えるには
そういう意味で、デモも自己満足以外の何物でもなかった。学内では「教養部改革反対!」とか「中教審路線粉砕!」とか、それなりに具体的なスローガンがあって学生への訴求力があったが、たまに街頭に出ると、私たちの言葉はほとんど市民の耳に届かなかっただろう。当時は4・28(沖縄デー:サンフランシスコ講和条約が発効した日)とか10・21(国際反戦デー)という「旗日」があって、我々も市内の他大学の学生とともに市街地をデモ行進したが、どんなスローガンを叫んでいたのかさえ思い浮かばない。昨日のブログで触れた浅羽通明氏は「主張がまったくないデモのためのデモ」をやったらどうかと冗談めかしているが、それに限りなく近かったかもしれない。要するに機動隊とドンパチやる(ふりをしてみせる)ことで反権力という自己満足に陶酔していたに過ぎない。正直楽しかった。開放感を味わえた。ただし、年々参加者数が減少していくのが寂しかったが……。
四半世紀の時を経て、私が2011年5月からデモに参加するようになった動機は、それとは全く異なっていた。四半世紀の間、生活者として社会になじんでいる間に、大変なことを見過ごしていたという後悔、原子力ムラへの怒り、そして何より、原発を子どもたちの後世に絶対残してはならないという使命感ーそれこそが私をデモへと駆り立てた動機だった。そして正直、向精神薬依存症を抱える私にとって、人混みに出ること、とりわけ夏は夏で暑さに耐え、冬は冬で寒さに耐えることは、決して楽でも楽しいことでもないばかりか、苦行にも等しいことだった。それでも、今行動しなければ悔いを残すと、デモに通い続けた。
もしT-nsSOWLやSEALDsの若い人たち(に限らない)が、学生時代の私のような気持ちでデモに参加しているのだとしたら、それは君たちにとっては決して悪いことであるばかりかいい社会経験になるであろうが、それで社会が変わると思ったら間違いであることを認識しておく必要がある。

デモで政治を変えるには
私には忘れられない言葉がひとつある。それは2012年夏に大飯原発再稼働をめぐって首相官邸前や国会周辺に10万を超える人々が毎週集まり、当時の野田首相をして「大きな音だね」と言わしめた時、菅元首相が「10万くらい集まっても政府は何ともない、100万集まれば変わるかもしれないが」と言ったことだ。私も、首都で10万の市民がデモに起つということは、全国で100万の積極的同調者がおり、1千万の意識的な支持者がいるだろうが、それ以上でもそれ以下でもないと考えていた。世論調査での7割、8割の脱原発など当てにならない空気に過ぎない。60年安保の時は数で脱原発を上回っただけでなく、岸信介首相の私邸にまでデモ隊が押しかけ、当時小学校入学前だった晋三は無邪気に「アンポハンタイ」のシュプレヒコールを真似て祖父の苦笑を誘ったそうだが、それでも法案は成立し、かろうじて岸退陣を実現しただけ、次の総選挙では自民党が圧勝した。
だから、もしデモで政府を倒すなり、脱原発を実現しようと思ったら、一桁上を目指さなければならない。100万人が国会周辺を埋め尽くし、全国1千万人がそれに同調すれば、大多数の国民がそれを支持することになるからだ。
あの時の高揚を誰かが紫陽花革命と呼んで世界的な動きと関連づけたが、チュニジアで始まったジャスミン革命は独裁政権を倒しただけでなく、リビアやエジプト等、アラブの春へと波及し、ニューヨークのオキュウパイ・ウォールストリート運動はバーニー・サンダースを生んだ。また日本ではあまり知られていないが、この時期、スペインではインディグナードスというデモが起き、後に市民政党ポデモスの結成につながり、先の総選挙での躍進をもたらした。アジアに目を転じても、台湾のひまわり学生運動時代力量という新党に結実して、やはり先の総選挙で議席を獲得した。そうした中、紫陽花革命は頓挫し、2015年の反戦争法のたたかいからもそのような具体的な果実を生み出していないのは、中国独裁権力を相手にした香港の雨傘革命くらいしか他に例がない。
ポスト資本主義へ向けて1%対99%の対立が深刻化する一方、難民問題やテロリズムによって社会が両極化する中で、欧米の多くの国々では極右勢力と新しい市民政党の登場という形での政治の両極化が進んでいるが、日本は極右勢力がすでに政権を簒奪する一方、それに対抗する新たな勢力が不在という異常事態を生み出している。
昨日も述べたように、今のままではたとえ民維合併がなされようが、5(4)野党共闘が実現しようが、安倍政権を倒すのはほぼ不可能な情勢であり、おおさか維新等を加え、改憲勢力が3分の2を獲得する可能性も小さくない。そうすれば1~2年以内の改憲国民投票も俄然現実味を帯びてくる。
その時、もしデモでたたかおうとしたら、今までのスタイルではたたかえない。確かに3・11以来のデモは「逮捕者を出さない」ことを大前提に、老若男女誰でも参加でき、ベビーカーや車椅子でも安心して参加できることを特徴とし、それはそれですばらしいことだったが、そのスタイルを維持するためには本気で首都で100万人を集めなければ意味がない。当然改憲勢力も改憲に向けたデモンストレーションを草の根右翼のみならず、地縁、社縁等のムラ社会を総動員して仕掛けてくるだろう。たとえ数で護憲派が勝ったとしても、政権に完全コントロールされたマスコミの報道を見た「物言わぬ国民」はどうそれを判断するだろうか?
ただデモに参加するだけではだめだろう。生徒・学生諸君は学内で教師・当局の妨害をはねのけて積極的に護憲のための政治活動を行い、学友をオルグしていかなければ勝てない。
社会人は会社や地域というムラ社会の中で同様のことを行い、味方を獲得しなければならない。
その際、政権は末端権力を駆使してそれらを妨害し、積極分子を逮捕したり、退学、解雇、ムラ八部等で脅してくるだろう。そうした人々を支えるサポート体制も必要になる。
タレントたちが所属事務所等の圧力をはねのけてどれだけの数がはっきりと「改憲反対」を表明するのかも、勝敗に大きく関わってくるだろう。
デモも、場合によっては多様化させ、中には逮捕覚悟の部隊の志願者も募らなければならなくなるかもしれない。そうした体制を保障するための全国的で強力な組織が必要になってくるだろう。弁護士、学者、医師、看護師、教師、公務員等が、その職責を発揮すべき場面が多々出てくるだろう。
とりま改憲反対!なんてチャラい気持ちじゃ本気度100パーの安倍晋三には絶対勝てない。なうしか、負けたらハイそれまでよ。
あとは一億総カツヤク社会ならぬ一億総カチク社会が待っているだけだ。今でも十分国家畜なのだが、今はまだ放牧状態の家畜。改憲されたら完全に自由を奪われた鎖につながれた家畜。煮て食おうと焼いて食おうと安倍次第の世の中が来るだろう。


リベラルにもはびこる反知性主義の病根 [Politics]

脱原発・反戦争法デモへの違和感
昨年夏の「反戦争法」のたたかいは、私も埼玉に住んでいたら多分何度も国会前へ足を運んだとは思うのだが、岡山の地から一歩引いて眺めていると、どこか違和感を抱かざるを得ないものがあった。例えば、国会での論戦が頂点に達した頃合いを見計らったように、川内原発1号機が新規制基準の下で初めて再稼働したのに、大規模なデモひとつ起こらず、現地でも逮捕者1人出さずに許してしまった。
最初の川内原発再稼働をめぐっては、反対運動が再び盛り上がり、現地では百名近い逮捕者が出るなど激しい実力行動が繰り返された。また、それに呼応して、国会周辺でも数万名規模のデモが何度も行われたが、二〇一二年夏の大飯原発再稼働のときほどの盛り上がりは見せなかった。(『亡国記』)
なるほど私は、改憲の前にこのような「解釈改憲」が行われることを予想していなかったので、2012年の紫陽花革命に続くデモの季節が3年後に訪れることも予想できず、戦争法に反対する人々の多くが脱原発派であり(特に団体レベルでは)、両面作戦で再稼働に力を割くことができなかったという理由があったにせよ、戦争法阻止より本質的に再稼働阻止のほうが重要だと考える私にとっては、天王山ともいうべき最初の再稼働をかくもたやすくスルーしてしまった脱原発運動って何だったのか、そして、原発そっちのけで反戦争法一色に染まったあの夏の熱気は何なのかという鼻白む思いをどうすることもできなかったものだ。
そうした違和感は、例えば3・11前から朝日新聞の「論壇時評」をずっと担当している高橋源一郎氏への違和感へも通じる。高橋氏は3・11以降、少なくとも2年くらいは「論壇時評」で毎回のように原発について論じ続けただけでなく、自ら『恋する原発』という小説を書くほど脱原発に熱心だった。しかし、もちろん「論壇時評」で論じるべき課題は他にも数え切れないほどあり、とりわけ安倍政権の横暴に関連して論じなければならない重要課題があるのは十分理解できるとしても、後半の2年はほとんど原発のゲの字も出てこないことに次第に不信感が湧いてきた。特にSEALDs登場後の彼らに対するご執心ぶりにはやっかみ抜きであきれて両手を広げたい気持ちを抑えきれない。
むろん私とて戦争法を軽視しているわけではないし、「アベ政治を許さない!」という気持ちは誰にも引けを取らないほど強く持っている。しかし、反戦争法をたたかった人々や団体の法案成立後の反応にも、私は強い違和感を抱かざるを得なかった。
例えば、小熊英二氏の脳天気なほどのオプティミズムはどこから出てくるのか? それから、たしかに脱原発デモと比べて高校生や大学生や学者、ママたちが組織だって参加してきたことは肯定的に評価できるし、脱原発が大飯原発再稼働反対以降、具体的な運動論を失ったのに比べて、今回は次の選挙を見すえて市民連合というような組織を立ち上げたことなどは一歩前進ではあるとしても、国民の7割以上の脱原発世論を背景とし、最大20万人を集めた脱原発、それでも12年年末の総選挙で大敗北を喫した脱原発運動に比べ、安保法制に対する国民の関心はさほど高くない中、最大12万人しか集められなかった反戦争法のたたかいが、たとえ市民連合が目指すような野党共闘が実現したとしても、そう簡単に安倍政権を倒せるとは、各種世論調査などを見てもとうてい思えない中で、自ら火中の栗を拾う覚悟で選挙戦に打って出ることは最初から放棄しつつ、野党の結集を訴えるだけで絶対選挙に勝てるという小林節氏のような確信は、いったいどんな現状分析から導き出せるのだろうか?????などという疑問、等々……
それらの疑問や不信感、そしてそれに対する私の分析や具体的提言は折に触れこのブログでも表明してきたところだ。

『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』(ちくま新書)という本
tikuma.jpgそんな時、この前書店を覗いて新書コーナーを見ていたら、浅羽通明著『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』というタイトルが目に飛び込んできた。そして衝動買いしてしまった。
浅羽通明という人は左翼か右翼か分からない、原発も否定しない、安倍政権も「そんなに悪いものではない」というようなとんでもない人なのだが、この本の内容は一読に値する。
氏はまず、デモに対するリベラル知識人の目的と手段を取り違えた論を徹底的に批判する。「デモで社会は確実に変えられます。なぜならデモをすることで、デモをする社会をつくれるからです」(柄谷行人)とか、「(デモの)効果測定なんかしたら楽しくないから意味がない」(小熊英二)といった言説だ。
ちなみに小熊氏は脱原発派が選挙で致命的敗北を喫した2012年12月22日にも、「…人々の成長は著しい。…どんどん賢くなります。参加を経験し、自分が動くと何かが変わるという感覚を持つ人がたくさん出てきたことに希望を感じます」と朝日新聞に書いていたそうだ。私がひと月ほどほとんど鬱状態になって立ち直れないほどのショックを受けていた時期にだ!
浅羽氏は言う。「必要なのは、「あーダメだ」となって、「よし! もう一度」と再起動する前に敗因を逐一分析して、敵と味方、彼我の力量の差を正確に測定し、そこから目をそむけず、それでも勝てる手があるか、勝てなくとも確実に一矢を報いうる方法はあるか、まるでないのならば、どれくらいの長期計画を立てたなら、力量の差を縮めていけるのかなどなどを、クールに検証してゆく作業、これだけです。」と断じる。至極最もな正論であるが、反原連市民連合にいちばん欠けているのはまさにそこなのではないのか?
リベラル派の知識人たちはよくネトウヨ=安倍晋三=日本会議らの反知性主義を指摘するが、実は彼らリベラル派知識人も、知らず知らずにその業病に感染してはいまいか? かくいう私自身も、2012年夏の高揚に酔いしれ、一時はこのまま日本も脱原発できるのではないかと妄想した瞬間がなかったわけではない。
しかし、私は2011年夏から「デモだけでは脱原発はできない。次の総選挙に備えなければならない」と主張し、微力をつくしたが、私の「同志」は「山本太郎」だけだった。
安保法制を成立させ、この夏の衆参同日選で改憲派が3分の2を確保することを狙う安倍に勝つためには、市民連合ではなく市民新党の結成でブームを起こし、野党結集していく戦術しかないと主張し続けているが、現状では反安倍のそよ風さえ吹きそうもない中、やれ5野党共闘だ、民維合併だと低次元の話に終始している。
浅羽氏は「戦いに負けて勝負に勝った」式のデモする人々の超主観主義を、日本の敗北を最後まで否定した帝国陸海軍のそれにまで喩えている。

リベラル派に欠ける本気度と危機意識
ところで、私は脱原発政府を実現するため自分ができる道として選んだ緑の党への参加という選択肢の中で、彼らが3・11以前から決めていた次期参院選への候補擁立という既定方針を転換して衆院選へ候補を擁立することを否定し、その理由として供託金制度等による多額の選挙資金を上げていたが、そんなのはチマチマ支持者からのカンパに頼っているからいけないのだ、その気になって大胆な活動を展開すれば1億や2億はすぐに集まるものをと思ったもので、実際そのことを山本太郎や緑の党から立候補した三宅洋平が身をもって証明して見せた。
浅羽氏も60年安保の時は面白いようにカンパが集まったと言い、「こういう方向でのアイデアがもっとあっていいんじゃないか。10万人のデモ参加者が千円ずつカンパを出せば、1億円ですよね。1万円だったら10億円です。」と述べている。そして「デモは行くけど、老後も不安だし金までは出さないよというのなら、脱原発や反安保関連法を訴える情熱も、まあその程度たどいうまでです。」と続ける。
その通り! つまりやる気=本気度の問題だ。脱原発のために役者生活をなげうち、自ら捨て石となって選挙に起った山本太郎のようなやる気のある者がどれだけいるのか? 少なくとも、やる気(=改憲)だけなら、安倍晋三は「左翼の皆さん」には絶対負けません!という気概を持っているはずだ。
私が思うに、左翼やリベラルにいちばん欠けているのはこのやる気=本気度と危機意識。そして、右翼に染まって知性までも失いつつあるとあってはお先真っ暗だ。
戦争を肯定するのがイケてて反戦なんかもうダサい時代が来たら、この人たちはどうするのでしょうかね。バスに乗り遅れるなとあわてそう。史上そういう例は多いでしょう。」という浅羽氏の危惧を私も共有する。



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