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[社説]韓日摩擦、これ以上放置してはならない(京郷新聞) [Politics]

韓日関係が悪化の一途をたどっている。韓国の艦艇と日本の哨戒機の機動をめぐる神経戦が半月続いた後に、去る6日には日本の安倍晋三首相が韓国最高裁の日帝強制徴用賠償判決に対する法的対応を指示した。日帝徴用被害者が最高裁の判決に従って日本企業を相手に財産差押えを申請するや、国際司法裁判所に提訴する策を講じるように指示したのである。最近では両国のネット市民まで相手に対するレス攻勢で加勢している。軍事的事案をめぐり両国が衝突した前例がなかったという点で、両国間の摩擦が新たな局面に突入したのではないかという憂慮まで生じる。
韓国と日本の軋轢が高まるには、国内外的な要因が複合的に作用している。安倍首相が率いる自民党政権が宿願である平和憲法の改正を通した戦争のできる普通の国づくりを実現するために、韓国との摩擦を利用しようとする意図がうかがえる。これはレーダー問題と強制徴用判決に対する攻勢を安倍首相が直接主導しているという点にも現れている。日帝徴用被害者の日本企業資産差押え申請に対する国際裁判所への提訴の動きも同様である。韓日請求権協定と関係なく個人賠償請求権が消滅していないという司法の独自判断を無視したまま、行政府に責任を問うている。過去の事例に見るように、外交問題を国内政治に利用する時、韓日の軋轢は最高潮に達した。李明博元大統領が下落する支持率を独島(竹島)訪問で挽回しようとしたが、日本の野田佳彦首相と正面衝突して最悪の事態を招いたのが代表的である。今、安倍内閣の支持度が40%台をかろうじて保つ程度に落ちているが、今年7月に改憲を左右する参議院選挙が予定されている。こうした状況で韓日の摩擦を通して政治的利益を得ようとする誘惑を振り払うことができなければ、両国関係を決定的に危機に陥れる可能性がある。そのうえ、アメリカのトランプ政権は以前の政権とは異なり、韓日両国間の摩擦の仲裁に関心を示していない。
今年は3・1運動100周年であり、両国間の緊張が高まる可能性が高い。韓日両国政府はこうした状況を深刻に認識し、軋轢がこれ以上深刻化しないように管理しなければならない。両国とも感情的対応を自制し、じっくり解決していかなければならない。まず、軍事当局は追加的な攻勢を自制した後、証拠に基づいて哨戒機の接近飛行とレーダー照射の有無に関する真相を究明する必要がある。外交チャネルも積極的に活用しなければならない。特に、安倍政権が外国の裁判所の判決まで否定するのは決して望ましいことではない。今のような一方的な攻勢が韓日関係の根幹を揺るがしうるという点に、安倍政権は留意しなければならない。

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[社説]日本「哨戒機映像公開」指示した安倍の戦略(ハンギョレ) [Politics]

日本の海上自衛隊哨戒機に韓国の軍艦が射撃統制レーダーを稼動したという主張に関連して、日本政府が28日、関連映像を公開した。軍の活動が含まれる映像を公開し韓国を圧迫すること自体が信頼を損なうものであるが、映像公開が安倍晋三首相の直接の指示によるものだというから驚きを禁じ得ない。いったい安倍首相は韓 -日関係をどこまで悪化させるつもりなのか聞きたい。国内の政治的利益のために近隣諸国との外交問題を活用する態度をすぐやめるのが道理にかなっている。
去る20日、韓国の駆逐艦である広開土大王艦が東海(日本海)で日本の哨戒機に攻撃信号と見なしうる射撃統制レーダーを稼動したという問題に関しては、韓 -日軍事当局の説明が食い違っている。しかし、内容がどうであれ、双方の誤解またはミスから始まったものであることが、当時の状況を見れば明らかであると思われる。当時、広開土大王艦は、遭難した北朝鮮船舶を救助中であり、敵ではなく日本の自衛隊哨戒機に射撃統制レーダーを稼動するいかなる理由もなかった旨、韓国軍は明らかにした。もし日本の哨戒機が攻撃信号を検出したのならば、いかなる過程を経てそうなったのか、双方の軍事当局がじっくり事実関係を確かめて確認すればいいことであろう。すでに27日に、韓日国防当局間では実務者会議が開かれ、「レーダー問題」の解消を図っている最中であった。
ところが、実務協議のまさに翌日、突然、日本の哨戒機が撮影した映像編集本を公開し韓国の公式謝罪を要求したのは、紛争を意図的に大きくするという意図にしか思われない。そのうえ、防衛省の反対にもかかわらず安倍首相が映像公開を主張したというから、支持率が落ちている彼が政治的地位のために韓日間の問題を利用しているのではないかという疑問さえ生じる。ただでさえ、両国の間には過去の歴史をめぐる問題と不信が山積している。このように、日常の懸案さえ政治的に利用し始めたら、今後、韓日関係はどうなるのか断言しにくい。
日本の植民地支配から始まった反人間的行動に対する謝罪と賠償問題は、韓日両国が時間を持って、政府だけでなく、市民社会陣営で幅広く議論しつつ解決策を見つけなければならない。この作業が難しいからといって、他の問題と結びつけることは望ましくない。安倍首相と日本の防衛当局は、過激かつ一方的な行動を自制するよう願う。

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広河隆一事件を考える―日本版#MeToo、ボスザル社会克服の契機に [etc.]

「週刊文春」が報じたフォトジャーナリストの広河隆一氏(以下敬称略)の性暴行、セクハラ事件に少なからぬショックを受けた。私は彼が40代前半にパレスチナに関わっていた頃から知っており、チェルノブイリを経て、福島にも積極的に関わってきた彼の主宰する「DAYS JAPAN」も、福島特集号を何度か購読してきた。今回被害が報じられたのはこの10年の7人ということだが、幼少期に形成された人格はそうたやすく変わるものではないので、彼も若い頃から同様の犯罪的行為に手を染めてきたことは容易に想像できる。被害女性の数は元祖#MeTooのハーヴェイ・ワインスタインを凌ぐかもしれないとすら考えてしまう。報道によると、被害女性が「DAYS JAPAN」編集部に辞める旨電話で伝えると、相手は事情を察した様子だったといい、また彼は、ささいなことで激高し、理不尽にスタッフを怒鳴りつけたり罵倒することがしばしばだったというから、編集部も広河のセクハラや性犯罪を知りつつ黙認していたことが窺われ、「DAYS JAPAN」全体の責任も問われよう。単に広河を社長から解任すれば済むという問題でもなかろう。
女性たちは広河を「神」のごとく崇めていたというが、この言葉ほどこの種の男を端的に示すものはない。神といえば慈悲深い全能の存在と肯定的に考えがちだが、それは神の一面であって、裏面では、逆鱗に触れれば天罰を下す無慈悲な絶対権力者が「神」だ。広河のような男は、どの世界ー政治的に右とか左とかも関係なくー一定数存在する。私はかつて労働運動に関わり、それも最左派の部分に関係を持ったことがあるが、その世界にも札付きの「女たらし」がいたし、私が所属した組合の委員長は酒の席で隣に女性組合員を侍らせてそのお尻を触るのが「趣味」だった。また、痴漢常習の組合員もいた。
広河のようにどんなに優れた写真家であり、立派な社会活動を行い、数々の賞を受賞してきてた存在でも、決してそれをもって免罪させるものではないし、むしろセクハラ・性暴行の一事をもって、それらの功績は無に帰するといっても過言ではない。その輝かしい功績も、被害女性らが彼によって陵辱され蹂躙された人生の重み・貴さに決して勝るものではない。このようなセクハラ・性暴行常習者は決して許される存在ではなく、社会的に抹殺されてしかるべき存在だと私は考える。
今から2年前にアベ同様に政治を私物化した朴槿恵大統領を退陣・逮捕に追いやった韓国では、今年初めに女性検察官の告発を機に#MeToo運動が各界で爆発的に広がったが、対する日本では#MeTooといえば伊藤詩織さんが突出した存在なのが実情だ。この広河事件を機に、遅ればせながら日本でも、各界に#MeTooの波が広がることを願わずにはいられない。
韓国は日本以上に儒教社会で男尊女卑の国だったが、昔から女性は「大和撫子」のように恭順な存在だったわけではない。しっかり自己主張し、自分の居場所をそれなりに確保してきた。私は、日本で#MeToo運動が広がるかどうかが、断崖絶壁にある今の日本を救えるかどうかの最後の鍵だと思っており、それが広がれば、今の政治に典型的なボスザル社会を真に民主的な社会へと再生していく可能性がまだ残されている、と微かな希望を抱いている。
生物学的に男であり、男性と性自認する私は、かつてもそのような性被害を受けた女性には単に寄り添う以上のことはできなかったし、今後も自ら積極的に何かをしていくことはできないが、マッチョな男性中心社会、ボスザル支配社会の終焉を望む気持ちは、他のどの男性よりも強いと自認している。

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(社説)和解・癒やし財団解散、「慰安婦問題」真の解決の契機に[京郷新聞11.22] [Korea]

女性家族部が21日、「韓国・日本慰安婦問題合意により設置された和解・癒やし財団の解散を推進し、財団の事業を終了することに決定した」と発表した。日本から財団の基金として受け取った10億円のうち残りの5億7000万円の処理については、慰安婦被害者等の意見を聞いた後に決定すると明らかにした。
韓国・日本慰安婦問題合意は、朴槿恵政権が慰安婦被害ハルモニの意に反した拙速外交の産物である。何より「被害者中心主義」の原則を無視したもので、財団が生命力を持つことができないのは当然である。また、財団の解体には1990年代に日本の民間募金形式で推進されたアジア女性基金に続き、金による日本の慰安婦問題解決の試みが挫折したという意味もある。当事者の意思を排除したまま金銭を用いた慰安婦問題の解決は不可能であるという点が、二度の失敗で確認されたのである。
和解・癒やし財団の設立は、日本の総理の謝罪とともに韓国・日本慰安婦問題合意の中心的な条項であった。今や、財団の解体で韓国・日本間の合意は有名無実化した。政府は慰安婦問題合意に関して破棄または再協議の要求をしないことにしたからには、新たな解決方法を提示すべき課題を抱えることになった。日本も、慰安婦問題が最終的・不可逆的に解決されたという主張を撤回すべきである。普遍的人権と正義に該当する事案は、政府間合意でだけで解決されるのではないという点を認めなければならない。当面の課題は、日本が拠出した10億円をどのように処理するかである。外交当局は10億円の即時返還を要求する被害者の意見を反映して、日本側と10億円処理問題を賢明に解決しなければならない。現実的に生存被害者と死亡被害者の慰労金額が異なることと、慰労金を受け取らなかった被害者に対する対策も講じなければならない。
今回の財団の解散は、誤った方向へ流れた慰安婦問題解決の道筋を正したものである。だが、安倍晋三総理は「(韓国・日本慰安婦問題合意の)国際的約束を守らなければ、国と国との関係が成り立たなくなる」と述べるなど、財団解散を強く非難した。日本は、そうでなくとも最高裁の徴用工賠償判決に対して反発してきた。日本は安倍総理の心からの謝罪拒否によって慰安婦問題合意破棄が始まったという点を考えなければならない。国家間の約束が破棄されたとだけ主張するのではなく、誤った国家の行為を正す意味があるという点を理解しなければならない。今回の解散が慰安婦問題の真の解決の出発点になることを願う。
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パンソリはこんなにジャズだった!-Near East Quartet [Jazz]

IMG_3025.jpg今年創立50年目を迎えたECMから、韓国人のアルバムが初めてリリースされた。Near East Quartetというグループで、リーダーのソン・ソンジェ(サックス)はバークリー音楽大学で学び、同じボストンのニューイングランド音楽院に学んでいたチョン・スウク(ギター)と出会い、2009年にグループを結成、2015年に女性ドラマーのソ・スジンとボーカルのキム・ボリムが加入したという。

韓国と日本におけるジャズの受容
第2次大戦後、同じアメリカ軍の進駐を受けてジャズが流入した日本と韓国であったが、戦前からジャズを受容してきた日本では、戦後、一気にジャズ文化が開花し、ジャズ喫茶があちこちにできたり、渡辺貞夫や穐吉敏子のような世界的ミュージシャンを輩出してきたのとは対照的に、韓国ではジャズは大衆の中に根づかず、90年代前半に在韓経験のある私にとっても、この両国の違いはどこに根ざすものなのか、長年抱いてきた疑問点であった。同じ大衆音楽でも、両国は演歌からはじまり、JポップやKポップなど共通した音楽情緒基盤があるだけに、なぜジャズだけは例外なのか、いまだにその謎は解けていない。
しかし、その韓国でも、今世紀に入って、海外で本格的にジャズを学ぶミュージシャンが出てきて、ようやく大衆にジャズが音楽の一ジャンルとして受容されつつある感がある。

みごとECMサウンドに融合
本アルバムの最初の曲は、エレクトロニカルな曲調のギターとサックスの演奏だ。しかし、2曲目が始まると、女性のハスキーな独特の抑揚を持った韓国語の歌が聞こえてくる。何とパンソリではないか! しかも、バックの幻想的な演奏との違和感が全くない。70~80年代にヤン・ガルバレクが北欧のフォルクローレをジャズで叙情的に奏でたように、みごとECMサウンドと化している。
全8曲のうち、キム・ボリムのパンソリが5曲を占める。特にソン・ソンジェがバスクラリネットを吹いている3曲目の「パラム」は、ソ・スジンがマレットで太鼓(プッ)のようにドラムを叩き、最後にはキム・ボリムがチン(鉦)を叩くなど、最も韓国的趣向を凝らした演奏。
このアルバムでは全体にスローで幻想的な曲調が貫かれているので、キム・ボリムのパンソリも抑制的なものばかりだが、YouTubeで検索してみると、軽快な語り(アニリ)に乗せたけっこうハードな曲も聴かれ、それもなかなかいけている。
それにしても、韓国の伝統芸能であるパンソリが、これほどジャズであったとは驚きである。過去にサムルノリが日本のジャズミュージシャンと共演したこともあったが、意外性はその比ではない。そういえば、1993年に公開された韓国映画「西便制(ソピョンジェ)」で、最後に見せる主人公ソンファの歌唱とトンホの太鼓(プッ)の激しい掛け合いは、まさにジャムセッションそのものであった。



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Jジャズの牽引役 Ai Kuwabara the Project / To The End Of This World [Jazz]

ai.jpg桑原あいのザ・プロジェクト名義の初アルバムで、管楽器やストリングス、女性ボーカル、さらにはラップを起用し、従来のトリオプロジェクトの枠を打ち破って新境地へと誘う作品だ。トリオプロジェクトは事実上ベースの森田悠介とのコラボレーションで、ふたりのバトルが生み出す化学変化が聴きものだったが、本作ではより大きな編成の音楽に挑むことで、桑原自身の音楽性を大いに飛躍させ、ワールドワイドなジャズの世界を創り出すことに成功している。
Opening-1は桑原のソロで始まり、従来なら長いソロで終わるところだが、途中からベースとドラムが加わりゲストの武嶋聡のフルートのソロへと続く。トリオでは聴けなかった新たな世界へさっそく引き込まれていく。
次のMAMAはいきなりDaichi Yamamotoのラップから入り、後半、桑原のピアノがブラスとともにスリリングに絡む。
Mother Seaは従来のトリオ演奏を最も継承している演奏といっていいが、後半からストリングス、さらには吉田沙良のボーカルが加わり様相がドラマチックに一変、重厚な曲に仕上がっている。
次のThe Errorはカナダ出身のサックス奏者Ben Wendeをフィーチャーした曲で、桑原もオーソドックスなジャズピアノを披露。
When You Feel Sadは寺山修司の「悲しくなったときは」を英訳した詩を吉田沙良が歌う軽快な曲で、桑原は珍しくエレクトリックピアノを弾いている。
Improvisation XV -Hommage A Edith Piaf-はフランスの作曲家フランシス・プーランクの曲で、徳澤青弦カルテットを主体とした演奏。
Mariaはレナード・バーンスタイン&スティーヴン・ソンドハイムの曲で、桑原と徳澤青弦のチェロのデュオ演奏。
919は再び桑原のオリジナル曲でハードなトリオの演奏。(ちなみに、919というタイトルは安保関連法が成立した2015年9月19日を指すらしい。)
Love Me or Leave Meはジャズボーカルのスタンダードで、吉田沙良が歌い桑原はブルージーな演奏を聴かせる。
そして、最後のタイトル曲To The End Of This Worldは、スローなオリジナル曲で鳥越啓介のアコーステックベースを加えたトリオの演奏で幕を閉じる。
全体的に様々な編成、曲調からなるが、桑原節といってもいい彼女独特のピアノ演奏が全体を貫いており、それがより大きなスケール感を獲得したという印象を受ける。
ジャズがグローバル化し、イギリス、フランス、ドイツ、ポーランド、オーストラリア等々、参加ミュージシャン自体はボーダレス化しつつも各国でニュージャズが盛況な現在、正直日本では優れた才能は海外に流出し、Jジャズそのものはそれら諸外国のジャズシーンからは一歩遅れをとっている感が否めないと思う昨今だが、桑原あいとザ・プロジェクトこそ、これからのJジャズの牽引役としても期待されると思う。



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カモメの幼鳥 [Photograph]

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札幌南部の山々の朝

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豊平川のカモメの幼鳥






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